割礼と洗礼

2017年1月29日
川崎 献一師
創世記17:1~14

日本人にとって、聖書は難しい書物でしょう。その理由の一つに元々の日本人にはない習慣のことが聖書には、よく書かれています。その一つが割礼です。割礼は、旧約時代には欠かせない儀式ですが、これは聖書が源というより、古代の中東地方では一般的な習慣でした。多くの国々で結婚する前に、グロテスクな話ですが、男性の急所の包皮にメスを入れていました。その割礼を神が「信仰のしるし」としてアブラハムに命じられたのです。まだ、アブラムという名前の時代に神は、彼に現れました。聖書には勿論、神のことがよく書かれているので、頻繁に現れる神という印象もありますが、よく読むと、かなり時間が経って現れることが多いのです。普段は見えない神は沈黙されています。いつ現れるかは、人には知らされていません。忘れた頃に現れる神でもあります。

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聖霊を求めよ

2017年1月22日
川崎 献一師
ルカによる福音書11:5~13

教会に集う人のモチベーションは様々です。中には悩みがあって教会に来てみた人やクリスチャンホームだからとかキリスト教保育の幼稚園の関係でという人も多いでしょう。友達や知人に誘われたからもあります。でも、本日のテーマに応えるかのように「聖霊を受けたいから」という言葉では、あまり聞きません。まず、現実の悩みからの解決です。病気の人は「早く治りますように」と、それこそ本音で祈るのです。求めなさいと言われているように祈り求めます。病が癒されたら感謝です。実はこれは聖霊を求めるようになる前のきっかけとしての祈りです。神が病を癒されることを「神癒」と言います。

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顧(かえり)みられる神

2017年1月15日
川崎 献一師
創世記16章

「顧みる」いう日本語を辞書で調べると3つの意味がありました。①振り向いて後ろをみる。または首を動かして周りの様子を見る ②過去を思い出してみる。③気にかける。この内、②と③が本日のテーマに近い意味でしょう。「顧みられる」とは、神への敬語です。13節のへブル語、エルは神、ロイが顧みと単純に受け取っていいでしょう。それぞれの生涯には、事情があります。中には複雑な場合もあり、子どもに知らせるのは後にした方がいいこともあります。それで、子どもが大人の話に口を挟む時、「大人の事情があるんだから」と子どもに言い聞かせることもあるでしょう。

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1対1の関係

2017年1月8日
川崎 献一師
創世記15章

神とアブラムは「1対1の関係」から始まっています。幻の中、場所は野外にも移動したので密室ではなくても、周りに第3者は誰もいません。祈りにも人の生活にも大別すると、2種類あります。祈りの場合は、公(教会や他の集会への出席)と密室です。一般人にも公と私生活の2種類ありますが、クリスチャンにとっては、両方で信仰生活です。教会では子ども祝福式があったり、何より洗礼式では神の子とされた約束を受けて感謝します。それは喜ぶべきことですが、洗礼の喜びが現実の生活にまで、いつも及んでいるか問われます。

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主の祈りの恵み

2017年1月1日
川崎 献一師
マタイによる福音書6:5~15

新年おめでとうございます!上町教会では年末に続き、2週連続で子供と大人が共に礼拝を献げました。

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