楽園宣言

2018年03月25日
川崎 献一師
ルカによる福音書23:39~43

棕櫚の主日を迎えました。過越祭というユダヤ教の祭に合わせてイエス様がエルサレムへ入城された記念の出来事です。多くの人々に大歓迎されたイエス様は、正に救世主として相応しい方です。只、子ロバに乗っておられたことは非常に謙虚です。イエス様らしいとも言えます。しかし、この5日後に処刑されるとは誰が思っていたことでしょう?勿論、イエス様ご本人は御存知でした。イエス様の死を冤罪と思っている人もいます。罪がないのに濡れ衣を着せられ、死刑にされてしまった可哀想な人だと。罪がないことは確かですが、冤罪という次元のものではありません。

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誘惑と祈り

2018年03月18日
川崎 献一師
ルカによる福音書22:39~46

日本では、あまり聞かれない言葉「レント」は、イエス様の十字架の受難を深く想う時(約40日)です。一般社会での、この時期は年度末であり、新年度を迎える準備の時です。仕事をしている人には、慌ただしく感じます。忙しいという漢字は心を亡くすといってイライラし易くなります。人に八つ当たりする場合もあります。そんな中でも、クリスチャンは今はレントだから特に鎮まって心を神に向けようとしたいものです。レントどころではない目の前の現実の方が大事だという思いは、誘惑を受けているとも言えます。神の御心を見失わないように神と交わる時間を確保することは非常に大事です。 神から離れることを聖書では「罪」と言います。誘惑する者の目的は、人に罪を犯させることです。誘惑を受けてもイエス様には罪がないので、神から離れたことはありません。逆に私達は、神から離れやすい性質である罪を持っているため、簡単に誘惑に負けることがあります

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地震と救い

2018年03月11日
川崎 献一師
使徒言行録16:25~34

日本は地震大国です。2011年3月11日14:46分に想定外の規模の地震が起きました。「3・11」と言えば東日本大震災のことです。毎年、必ずレント(キリストの受難を深く想う時期)に入っています。讃美歌21の311番は、大地震とレントを同時に連想させます。今年は震災後、丸7年を迎えます。7という数字は聖書では「完全」を意味しています。あの日から暫くは、テレビでは震災の報道一色となりました。原発事故も深刻ですが、津波の力も壮絶でした。旧約聖書のノアの時代の大洪水を連想したクリスチャンもおられるでしょう。人類の無力さをも痛感した出来事でした。只、あの悲惨な映像はトラウマになるということから、いつの日からかテレビ局はビデオ映像を流さなくなりました。被害に直接遭われた方々にとっては、見たくない映像です。その配慮からの自粛は必要なことでしょう。

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神の子イエス

2018年03月04日
川崎 献一師
ヨハネによる福音書10:22~42

聖書には、ユダヤ人とありますが、十(じっ)把(ぱ)一絡(ひとから)げに見てはいけません。本日のテキストの小見出しにあるユダヤ人とは、信仰体験がない人達です。ユダヤ教徒ではあっても、イエス様の教えを頑なに拒んでいます。その頑固さは半端ではありません。ある意味ではユダヤ教という宗教に洗脳されている見方も出来ます。人の自由を奪い洗脳する教えは危険です。更に社会的に問題を起こしたり、個人的にも苦しんでいる信者の脱会を認めない組織は宗教と称する犯罪集団の可能性もあります。当時のユダヤ教は犯罪集団ではないにせよ、差別社会を助長していた面はありました。ユダヤ人=ユダヤ教なので、公に宗教を批判することは憚(はばか)れます。イエス様から言わせれば「私の羊ではない」(26節)ということです。メシアとは救い主という意味ですが、イエス様は、その証しを立てておられ話し続けてきました。只、イエス様に疑いを持つユダヤ人たちが納得いくような内容ではありませんでした。律法学者たちにとっては、数年前に現れたばかりのイエス様の人気は妬ましくて許せないことです。只、イエス様の周りには弟子達がいて、更に多くの群衆の支持があります。人気がなければ、簡単に捕らえられた筈です。人気があるということは魅力がある証拠ですが、それは神の権威+真の愛がイエス様からは充分に感じられたからです。

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