招きと選び

2018年05月27日
川崎 献一師
マルコによる福音書3:13~19

イエス様は登山が好きなのでしょうか?実は聖書では、山というのは神との交わりを深める場所なのです。そのイエス様についてきた人々は、求道者です。まだ洗礼は受けていません。イエス様ご自身は、洗礼を授けることはなさらず、弟子達が多くの人に洗礼を授けたと他の聖書箇所に書いてあります。ということは、その弟子達も本日のテキストで任命されるわけです。弟子達は誰から洗礼を受けたのかは聖書には記されていません。イエス様は、親戚の洗礼者ヨハネから洗礼を受けましたから、弟子達に洗礼を授けたのはヨハネかも知れません。

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イエスの戒め

2018年05月13日
川崎 献一師
マルコによる福音書3:7~12

母の日です。十戒の第4条にも「父母を敬いなさい」とあります。厳格な父は、元々敬われるべき存在でした。母は、女性ですので聖書時代から社会的にも女性は差別されてきました。それで「父の日」以上に「母の日」が強調されるのでしょうか?イエス様は母に対しても愛の方でした。真の父は神ですが、目に見える育ての父はヨセフです。しかし、ヨセフは早死にしたと言われています。イエス様は母マリアにも弟子達にも、他の人達にも差別なく接しておられました。差別を聖別と称するファリサイ派の人々とは、反対の姿勢です。ファリサイ派と対立しつつも、イエス様は神の御業を進めます。安息日でも構わず、働かれます。そんな噂は、口コミであらゆる地方に広まっていました。イエス様は、自由な方です。「今日は、安息日だから休業」ということはないのです。群衆は「イエス様は、ユダヤ教の律法など破って、私達の病気を癒して下さる方」と勘違いをした人もいたかも知れません。イエス様の自由な姿勢は、どこからくるものでしょうか?28節で学んだ「安息日の主」ということは安息日を否定はされていません。安息日の中心となるのは、主なる神です。そして、神の子イエス様です。また、イエス様ご自身が本日のテーマにあるように戒めを重んじられる方です。

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イエスの悲しみ

2018年05月06日
川崎 献一師
マルコによる福音書3:1~6

安息日は何のためにあるのか?先週のテキストで学びました。人のために、それも人が神に礼拝を集中して献げるためにあります。信者にとっては大事な日ですが、無神論者には「神への礼拝?私は神など信じてもいない」となりナンセンスな話です。人のためになら、自己中心に自分の安息のために昼寝をしたり、レジャーを楽しむ発想になります。神から見たら、的外れな安息日の過ごし方です。宗教熱心なファリサイ派が安息日を守ること自体は間違ってはいません。問題は、ここでも安息日を守る心の動機です。そして、神もまずユダヤ人に安息日を与えた意図があります。旧約聖書 出エジプト記23:12参照。6日間は仕事をするのが原則です。

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