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味方と誘惑

2019年02月24日
川崎 献一師
マルコによる福音書9:38~50

本日の新共同訳聖書の箇所には太字の小見出しが2つあります。そして、本日のテーマは前半と後半の小見出しを合体させました。すると、このテーマから「あなたの味方だから」と誘惑する詐欺師などを連想するでしょうか?前半は、弟子の一人ヨハネがイエス様の御名によって悪霊を追い出す業、つまり病の癒しをしている人を見ました。そして「あなたも私達の仲間だね。一緒に来なさい」と誘ったら、断られたようです。それでヨハネは「私達に従わない」と見て、その業をやめさせようとしました。でも、イエス様はヨハネに「余計なことをするな」と言わんばかりに「私達に逆らわない者」と容認されます。「従わないのに、逆らってはいない」とは矛盾にも聞こえます。これはイエス様と12弟子の関係のように、寝起きから共に行動をしている人ではなくても「イエス様の御名」によっての信頼関係です。

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イエスの弟子たち

2019年02月17日
川崎 献一師
マルコによる福音書9:30~37

弟子という言葉を辞書で調べると「特定の師匠について、学問や技芸などの教えを受ける人」とあります。弟子という表現は古さを感じますが、今でも大相撲や芸人の世界などでは使われています。スポーツ界では監督またはコーチと選手という言い方もしています。弟子達は、何故イエス様に従ってきたのか?それはイエス様の人格、様々な奇跡を行う力から「この方についていきたい」というカリスマ性があったからでしょう。

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イエスの我慢

2019年02月10日
川崎 献一師
マルコによる福音書9:14~29

本日の19節、イエス様の「何と信仰のない時代なのか」という御言葉をどう受け止めましょうか?当時は、唯一神のユダヤ教徒が殆どの時代です。今の日本より遥かに宗教は盛んで神の律法も守られていた筈ですが、神から見たら本物の信仰ではないということでしょう。講解説教を行う中で、毎回イエス様の素晴らしさを学ぶと同時に弟子たちの不甲斐なさに気付かされます。他人事として「弟子たちは、どうしようもない連中だ」と見ることは簡単ですが、この弟子たちの在り方は現代の教会の在り方に繋げてみる必要を示されます。

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天の輝き

2019年02月03日
川崎 献一師
マルコによる福音書9:2~13

イエス様は責任を持って12弟子を選んでおられます。その中の3人には特別にイエス様と共に登山されました。高い山ということは、天国に近いという象徴です。元々、山とは神との交わりに集中する霊的な環境です。イエス様は、趣味で登山されたのではなく、目的意識がありました。それは、先週の箇所でかなり大胆なことを弟子たちに言われました。「十字架と復活の出来事」ですが、弟子たちには口止めをされました。また、群衆にも「神から与えられた各々の十字架を背負うように」とか永遠の命、再臨、ペンテコステの出来事まで予告されています。この神の御計画を初めて聞いた人々は、大いに戸惑ったことでしょう。メシア(救い主)と言えば、神の力によって現実のローマ植民地政策からの解放を促すリーダーというイメージがあります。

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