甘い誘惑

2016年04月24日
川崎 献一
創世記3:1~19

有名なアダムとエバ(英語読みではイヴ)の登場です。この時点では、エバと呼ばれていない女が、悪賢い蛇(サタンの化身?)の誘惑のターゲットとされました。

今、熊本の人達は、震災による大変な試練を受けています。熊本の教会やクリスチャン達は、切実に祈っていることでしょう。私達も祈ります。主による慰めと平安が与えられ、必要な物も備えられますようにと。

試練によって信仰を失うこともありますが、逆に信仰を強める機会とも成り得ます。でも、試練より怖いのが本日のような誘惑ではないでしょうか?

人類に罪が入った出来事は、女に強制的に禁断の木の実を食べさせるという方法ではなく、「あなたも神のようになれる」という甘いささやきで、実際に木の実をよく見たら美味しそうで魅力的です。

神の御言葉よりも、蛇の言葉に従うことをしてしまった2人は罪人となり、罪なきエデンの園を追放されました。

その前に神は、2人との交わりを持って下さったのですが、アダムも女も責任転嫁をしました。言い訳をしたり、人のせいにすることは罪人の特徴です。私達にも、よくあることです。実に罪とは、神の御心に背くことなのです。

この結果、蛇は、呪われた生き物となり、アダム(男)は、労働の苦、女は妊娠、出産の苦と男に支配される存在に神によって定められたと聖書は告げます。

罪人となったことで、自分たちが裸だったことに気付いた2人ですが、これは肉体的な裸が恥ずかしいだけではなく、心を曝(さら)け出しては生きられない存在になったことも意味します。私達も、アダムの子孫で、罪の遺伝子を受け継いでいます。人に対して、本音の全ては言えないでしょう。隠したい面もある筈です。でも、全地全能の神に隠し事をしても仕方ありません。

神に罪を指摘されたら「ごめんなさい。私が悪いのです。」と罪を認め、「もう、こんなことはしません」と罪を素直に悔い改めることを神は望まれています。

主イエスの十字架は、人類の罪を赦すためにあり、その愛に満たされた時、教会は現代のエデンの園と成りえます。

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