神の後悔

2016年07月03日
川崎 献一
創世記6:1~8

神は、自由な方です。神の似姿として造られた人類にも愛を持って自由を与えました。しかし、罪人に堕落した者たちの自由は、神の御心に適わない勝手人間の増殖です。

世の多くの親が「子どもに好きなことをさせたい。将来の仕事も、出来るだけ子どもの意志に任せる」と思います。しかし、子どもが犯罪に走ったら、どうでしょう?それでも、子どもの自由だよと楽観する人は、まずいないでしょう。神も同じです。神は超越者なので、感情などは持たないと思う人もいるでしょうが、神は人格を持っておられ、喜び、悲しみ、時には、本日のテーマにあるように後悔することさえあるのです。

本日の聖書に出てくる「神の子ら」とは、不思議な存在です。神の作品なのに、神の意志ではなく、自分勝手な選り好みにより、結婚したとあります。勿論、今でも自分の意志で最終的には結婚するものと思うでしょうが、神を信じる者は、神に祈りつつ慎重に結婚も決めていくものです。それが、祈りもせず、神の意志を無視しています。それまでは、700~900才以上も生きられた人類の寿命が、大幅に縮められ120才が平均寿命となりました。罪人には「死」が相応しく、それまでは神の憐みにより、いずれ死ぬにしても、地上の長寿をも神の祝福としていました。

当時、神よりも、ネフィリムという英雄が崇められています。これは、神を冒涜することです。神は決して、ロボットや操り人形などを造られたのではなく、神と自発的に豊かに交わる人の姿勢を望まれています。しかし、現実は神抜きで幸せを求める価値観が大多数を占めるようになり、今に至ります。罪とは、殺す、盗む、騙す等のみならず、創造主&聖なる神に喜ばれないこと全てです。

神は、大洪水を起こして人類を滅ぼす決断をされます。そんな中でノアという男が、人類の子孫が救われるために神の器として用いられるのです。4年後に東京オリンピックを控えている日本ですが、神の栄光のために準備している人達が、どれくらいいるでしょうか?まさか0?

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