預言の成就

2017年12月03日
川崎 献一師
ヨハネによる福音書1:1~18

人の言葉には絶対性はありません。キリスト教の言とは、人ではなく神の御言葉のことです。そして、本日の「ことば」という漢字には「葉っぱ」の「葉」という字はありません。漢字一文字で「言」です。ギリシャ語では「ロゴス」神の言=神の意志なのです。葉という漢字が伴うと「枝葉」のような余計なことまで言ってしまう、それこそ揺れ動く人間的な言葉という意味になるでしょう。イエス様の言葉は、絶対的な神の意志による言葉でブレません。

罪人は限界がある世界に生きています。それは暗闇の世界です。暗闇と言えば夜を連想するでしょうが、昼間であって神の言を信じないと闇を生きていることになります。これを実感できない人々は、聖書を否定するでしょう。「今、絶好調です。何が闇です。私の未来は前途洋々です。」そう感じるだけです。真理の光に照らせば錯覚を満足しているのです。4節の深い「言=命=光」は、神を否定する闇の世に投じられたのですが、現実は多くの人が、この光を理解していません。「聖書を信じなくても私は幸せ」と思っている人は、実は強い自我を持っています。 神は、挫折を体験させて導かれることもあります。神の荒療治を受けた一人に、星野富弘さんがいます。群馬県出身の有名なクリスチャンです。小学校の体育教師だった星野さんは、24才の時、大怪我をして手足の自由を奪われました。体を動かすことが大好きだった星野さんにとって寝たきりの人生は、「もう死にたい」という絶望感を与えました。自分を産んだ母親を逆恨みしました。暫くは心を閉ざしていましたが、神の時がありました。その心の闇に光が入りました。いきなり、聖書の御言葉ではなく、三浦綾子さんの小説が用いられたのです。その前に、その本を届けたクリスチャンの無名な友達も用いられています。そして、洗礼の恵みに導かれました。その後は、星野さん自身が口にペンを加えて、詞や絵を書いて、講演も頼まれて全国的にも大きく用いられています。神に選ばれていた器だったのです。絶望感の時期があっても、絶望などはなかったのです。

本日はCS(チャーチスクール)で旧約聖書のイザヤ書とミカ書から子ども達へメッセージされました。旧約時代の預言が成就されたことを証しするために、先にヨハネが語り、そしてイエス様が現れ、具体的に人となられた神とは「こんな方」と示されたのです。人間的には、ヨハネはイエス様の親戚です。それを超えた意味でイエス様は神によって生まれた方なのです。マリアの息子ではあっても、夫ヨセフの子ではない「嘘のような本当の話」です。イエス様は聖霊なる神によって生まれられたのです。神が肉体を持たれ、人間の世界に生まれて下さったことをヨハネは告白しつつ、神の栄光を賛美しています。人間イエスとしては半年、早く生まれた筈のヨハネが「私よりも先におられた」と言ったのは、「イエスは神の子」、神の方が、人間より優れているのは当然です。聖書は、単純な信仰を勧めます。神は肉眼では見えません。じゃあ、イエス様を神として信じなさいと。イエス様は、見える人間となって下さいました。神の子でもあります。私達も信じたら神の子になれます。イエス様の人生には目的がありました。神なのに、人のように死ぬことです。それも痛々しい十字架刑です。神の預言の成就に感謝して、教会では毎月、第一主日(日曜日)に聖餐式も行っています。

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