主の熱意

2017年012月17日
川崎 献一師
イザヤ書9:1~6

本日のテーマは、6節。「熱意」とは神の直接の作品から表せば「光」であり「炎」ではないでしょうか?神は愛の方で熱意を持っておられます。愛ということは、人の自由意志を重んじられます。神の導きは、時には強引なこともあるでしょうが、原則としては人に「どうしたいのか?」と問われる方です。そして、人が神に立ち返ることを待っておられます。時間が流れることも惜しまず、人の魂が救われる神の時を定めておられます。周りの人は、神の時が分かりませんから、待てなかったり、あの人は無理でしょうと諦めたり、決めつけたりします。

「主の熱意」に対し、私達人間の熱意は何に対してあるのでしょうか?子どもに対して教育熱心な親は、現実的な目標があります。受験戦争を乗り越えて、より高い学歴、将来的に高収入を得られ、子どもを誇りたい親もいるでしょう。将来を見据えて子どもが小さい内から教育に熱意を持つ人もいます。それは、この世的には賢明な姿勢かも知れません。クリスチャンには、信仰熱心な方も多く見えます。礼拝に忠実、聖書を読み、祈り、奉仕をする姿勢、これは主の熱意への感謝の応答として信仰が燃え上がる姿勢であるべきです。その根底に神の愛があるか否かが重要なポイントです。

今年の日本の世相を漢字一文字で表すと「北」ということです。ミサイル発射の連発で北朝鮮の脅威を感じました。北朝鮮との関係は慎重にしないと核戦争に成りかねません。旧約の戦争を新約時代でも繰り返しすのは、クリスマスの意味を無視しています。悲観的になる人もいますが、北朝鮮の国民の平均年収より、遥かに裕福な人が多い日本人には高を括って快楽的に生きている人もいます。私達の戦いは目に見える戦争のみならず、神の前での各自の罪と戦うべきです。99%以上がクリスチャンではない日本人です。クリスマスの出来事は神の人類への最終手段です。神が神の子イエスを世に送ることが、どれ程の主の熱意が注がれているか。主の御降誕の喜びを証しするために、クリスマスイベントでは祝会もあって盛り上げます。健全な宴会は聖書的なのです。私達は、常に福音を喜んで5節にある通り「みどりご」つまり、罪の世に赤ちゃんから人生を体験され、そして私達のために死なれた方(最期は十字架刑)を信じます。クリスマスは、主の熱意が具体的に現れた出来事です。全世界の人に関係があります。

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