新生の恵み

2018年06月03日
川崎 献一師
ガラテヤの信徒への手紙6:11~18

上町教会は、教団内のホーリネスの群に属しています。ホーリネス信仰とは何か?四重の福音で表わしています。福音が4つあるわけではありません。新約聖書に四つの福音書があるので、間違われることもありますが、福音はイエス様によって与えられた唯一のものです。その福音に四つの大事な面があることを神学的に正しく理解をする恵みの手段です。

まず最初は新生を学びます。これはホーリネス以外の教派でも大事にしている信仰です。洗礼を受けて人は新しくされるのか?洗礼をギリシャ語ではバプテスマと言うので、バプテスト系の教会は、その信仰を教派の名前、看板にしています。勿論、「新しく生まれ変わる」といっても転生輪廻ではありません。死後、別の何かに生まれ変わる教えは聖書にはありません。人は誰でも1度は、世に生まれます。それも自分ではなく神の意志によって造られた存在です。でも、神の子とは言えないのは、人類は全てアダムとエバの子孫であり、罪の遺伝子を持って誕生します。そのままだと古い自分・罪人です。罪が神によって赦されて新しくされるべきです。

当時のガラテヤ教会にはユダヤ教の名残がありました。洗礼+割礼という旧約の儀式も必要と思っていました。その動機は、キリスト教も素晴らしいがユダヤ教も神の言葉だから、割礼も受けるべきと思い、ユダヤ人からもよく思われたかったのです。パウロが言う通り、割礼を受けた者でも律法は守っていません。ユダヤ教からもキリスト教からも認められたいようです。律法は大事ですが、実は割礼などはどうでもいいのです。律法もイエス様を信じた上で、守るべき性質のものです。律法を守ろうとする姿勢は大事ですが、行いでは100%守ることは不可能です。だからこそ、14節の御言葉が生きるのです。この十字架は、律法を守れない罪人である私達のためにイエス様が掛かって下さったのです。身代わりにイエス様が神に裁かれました。単なる冤罪ではなく贖罪死でした。この十字架と更に死からの復活こそ福音の中心です。これを聞いて信じた人は新しくされるべきでしょう。キリスト教では、「自分の十字架を担う」という言い方もします。様々な試練を十字架と称します。人によって試練の内容は違います。病気や障害、あらゆる生活面の困難さを含め、十字架に磔になったのはイエス様ご自身です。その磔を受け入れたイエス様の愛にパウロは大いに触発されたのです。磔は死を意味しており、古い価値観は終わった、もう死んだのだ、そして新しい命を受けて生きようということで15節の御言葉が光ります。本日のテーマに相応しい聖句です。

古い価値観つまり、自分が正しいと思う生き方が終わったパウロは「イエスの焼き印を身に受けている」と言っています。これは迫害を受けた時の多くの傷を指しています。新生された者は、イエス様の御言葉に従います。イエス様は「私を信じたのだから罪は赦された。死んだら天国に行ける。他の人には伝えなくていいよ。迫害なんて受けたくないでしょ」とは決して言われていません。福音伝道は、愛するイエス様の命令です。イエス様は、まだ神を信じていない他の多くの人達をも同じように愛されているのです。確かに世では迫害を始め、信者らしくない信者の存在などパウロにとっては煩わしいことが多いので、思わず本音も17節に記しています。人間的には迫害には避けたいものですが、パウロは忍耐して受け入れています。それは、イエス様による罪の赦しへの感謝、永遠の命が約束されていることからの喜びです。最後にパウロは祝祷を捧げています。あなたがたの霊とは、いつも共におられる聖霊のことです。見えるものに振り回されやすい私達ですが、見えない霊である神に期待して、新生の恵みに感謝して歩みます。新生体験をしていない人も、教会へ行ってみましょう。

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