家族伝道

2018年09月23日
川崎 献一師
マルコによる福音書6:1~6a

イエス様にも家族はありました。家族にも二重性があります。究極的には父なる神と神の子イエスは親子として現わされます。それは霊的な意味のため、その真理を信じられない人も多くいます。霊的という言葉自体が分かりにくいのでしょうが、聖霊を受けた人のみ悟らされます。もう一つの分かりやすい家族のことが本日のテキストにある肉の家族です。人間イエスとしてはガリラヤ地方のナザレが故郷です。生まれた場所はベツレヘムですが、育たれた地がナザレだったのです。私達の中にも、生まれた土地と育った土地が違う人もいます。

イエス様は、天から地上に降りられて、地上的な経験もなさいました。イエス様の真の故郷は天国なのですが、人間的な故郷としてはナザレです。「ナザレのイエス」という映画もあります。ユダヤ全体が律法を守る民族のため、イエス様は帰郷されてもいつも通り、安息日は会堂で説教されたのです。その時、不信仰な声が上がりました。最初は、イエス様の知恵と奇跡に人々は驚いたのですが、だからといって彼をメシアと見るわけにはいかないという考え方です。それは、ちょっと前まではイエス様は、洗礼も受けておられなかったし、奇跡など行ってもおられなかったからです。/p>

本日のテーマは、クリスチャンの祈祷課題の中でも切実な問題かも知れません。クリスチャンにも、イエス様と同じく家族が2種類あることに気付かされます。教会は、クリスチャンにとっては神の家族と呼ばれることに霊的な意味があるからです。 イエス様にも肉の家族がおられました。イエス様の父は、神(聖霊によってマリアの胎内に身籠られた)ですが、育ての父はヨセフです。大工だったのでイエス様も30歳以前の職業は大工を受け継いでおられたのです。兄弟の名前も男の方は、はっきり書かれています。イエス様が長男で、弟は4人いたようです。いずれもマリアとヨセフの間に生まれた筈です。イエス様にとっては異父兄弟。母親は同じでも父親が違うからです。また、女の兄弟を姉妹たちと表現するので、2人以上の妹がいたことになります。この肉の家族に関しては情報量が少ないのですが、次男に当たるヤコブのことだけは他の聖書箇所にあります。彼は、本日のテキストの時点では、信仰はなかったかも知れませんが、いずれエルサレム教会の最高指導者になる位の神の器になります。

その家族と共に親族が住んでいるよう  な環境がイエス様の地上での故郷です。 イエス様が大工だったことは当時はメシア(救い主)には相応しくないと思われていました。いわゆる学歴がないという判断です。イエス様の弟子であるペトロもヨハネも漁師だったので、肉体労働者でした。実は信仰にも献身にも学歴の有無は関係ありません。神の召命に応えて献身しているかどうかが肝心なのです

勿論、神は色んな人を用いられます。高学歴の人でも、後の伝道者パウロはユダヤ教のエリートでした。新約聖書の13の手紙はパウロの執筆です。神学的にも優れた文書です。そして、イエス様には、この世的な学歴はなくとも常に神の知恵がありましたから、神の働きは充分に出来たのです。それを認めないのは、この世的な価値観です。 ある人は、自分の家族や親族に有名人がいたなら「光栄なことで、自慢したくなるのに」と言いました。イエス様は、当時でも噂が広がって有名人にもなりましたが、何といっても救い主です。また、今では時代を越えて世界一の有名人でしょう。でも、それは結果です。有名人になるためにこの世に来られたわけではありません。                                               イエス様が真の救い主、それは単なる奇跡をなさる方のみならず、私達人類を罪から贖って下さる魂の救い主ということは後で聖霊を受けて分かることです。イエス様は、御自分のことを預言者と言われましたが、その面もあります。宣教もなさっていたのですから。旧約時代から預言者は家族、親族には敬われにくかったのでしょう。それまでの罪深い普段の生活を周りの人に見られていたこともあります。但し聖なるイエス様に罪は見出せませんが、周りの目の先入観は根強いものがあります。普通の人である大工、兄弟、姉妹も平凡な人達なのにというレッテル貼りです。

私達クリスチャンには、地上の故郷以外に天の故郷があります。地上の家族(肉親)が先に与えられましたが、教会に通い、神の時があって洗礼を受けた時点で神の家族となります。その二重性がイエス様に似ていると気付いた人は喜びます。本日のテーマも正確には「家族伝道の難しさ」とすべきだったのでしょうが、それは人間的には難しく感じられても、全知全能の神には不可能はありません。聖霊なる神の力によって、不可能が可能となることも充分あるのです。

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