悟りなさい

2018年11月11日
川崎 献一師
マルコによる福音書7:14~23

悟りとは仏教で、よく使われる言葉で「心の迷い」を取り去ることを意味します。キリスト教でも日本語訳されている「悟り」ですが、14節にイエス様が命令されています。イエス様は、物事の本質を見抜くことを勧めておられます。悟るためには、様々な人生経験が必要な上、よく考えることが大事です。只、長く生きて徒(いたずら)に時を過ごしていては悟れないでしょう。イエス様は、まだ30歳を過ぎたばかりで、現代日本では若者の年齢でしたが、神の子なので全てを悟っておられました。悟りとは知識があるだけではいけません。ファリサイ派や律法学者たちとの関わりの中でイエス様は一方的に「神の律法よりも人の言い伝えを優先する」彼らの誤りを指摘されました。本日の箇所で、イエス様は群衆に大胆に語られたのが15節です。ファリサイ派も悟っていなかったのに自分達を正しいと思っていたからこそ、偽善者でした。イエス様は更に群衆にも悟るように命令されました。15節の御言葉を側で聴いていた弟子たちも悟れなかったため、イエス様に愚問を投げかけています。

外から人の体に入るものは何があるでしょうか?口から入る物は食物です。空気も入ってきます。食物も空気も神が直接造られた物なので、本来は良いものです。この本来の姿に水を差したのが人類の罪です。空気も公害汚染で、そのまま人が吸い込んだら病気になるものもあります。花粉アレルギーの人は、花粉が多く飛散する時期にはマスクをして対策をします。それを思えば、外から人の体に入るもので人を汚すものは多くあるということになりますが、神の前では屁理屈でしょう。イエス様が、ここで言われる外からのものとは神の本来の作品の性質を指します。エデンの園には悪いものは何もなかった筈です。食べ物が傷んだり、腐ったりすることもありません。空気も綺麗なので公害もなく、アレルギーのような拒否反応も有り得ません。神の作品は、全て満喫できるものです。死後の天国も素晴らしい世界であることは間違いないでしょう。

罪人になってエデンの園を追放された人類に神は、モーセの時代になって律法を与えられました。人は何らかの動物の肉か穀物や野菜果物などの植物を食べて生きるわけなので、食物規定が出来ました。その中には「清い動物と汚れた動物」があるとされました。開かなくて結構ですが、旧約聖書のレビ記11章に詳しく記されています。その律法に照らして、必然的に儀式も生まれたのです。

人の中から出るものに問題があるとイエス様は言われていますが、世の中には性善説と性悪説があります。性善説とは、人間の本性とは善であるという考えです。様々な環境によって悪を行ってしまうということです。逆に性悪説とは人間の本性とは悪なので、善い行為は理性的な意志によって乗り越えていくという考えです。 では、聖書の教えは、どうでしょうか?本日のイエス様の御言葉からは性悪説になりますが、それは人類が罪人に堕落したからです。神が最初に人を造られた時は性善説が当てはまります。神は聖なる善良な方ですから、最初の人類は2人ですが、アダムもエバも神の似姿として清い存在だったのです。では、清い人が何故、罪を犯してしまったのか理解に苦しみます。神は人類に自由意志という素晴らしい賜物を与えられました。神に従うことも逆らうことも自由です。勿論、神は人に従ってほしいと望まれます。その自由がない神の御言葉に自動的に従うことしか出来ないロボットや操り人形のような面白味がない存在を造られたのではないのです。罪への堕落への背景には、蛇として登場した誘惑者の存在があります。蛇さえ誘惑しなければ罪人は生まれなかったでしょう。最初の人類には罪はなくとも弱さはありました。その弱さに付け込んだ蛇の罪は、人類以上に重いでしょう。只、罪を犯した以上、罪人になってしまったことは事実です。聖なるエデンの園からも追放された先は、サタンが支配しているかのような世界です。罪人は、神から離れサタンが喜ぶことをしたがります。勿論、善を行いたいと思っても罪の力に屈しやすいのです。イエス様も、地上に人として生まれた後、罪深い世界を見て来られました。それで20節からの御言葉、耳が痛い罪の種類が列挙されています。イエス様は、人類の罪の現実をしっかりと見据えておられます。イエス様は、私達に愛を持って向き合われる方ですが、同時に私達が持っている罪を見て見ぬふりなさる方ではないのです。

私達は、人間関係の中で良いことは強調して、悪いことには触れないようにする傾向があります。また、悪いことは本人の前では言わず、陰で悪口を言い合うことが多々あります。イエス様には、そんな面はありません。この世では「臭い物には蓋をする」とか「長い物には巻かれろ」が諺として認められていますが、人から出てくる知恵です。一時的には有効活用も有り得ますが、罪人の知恵の限界を知るべきでしょう。本日のテキストは、人のマイナスの現実で終わっていますが、その人を変えるのは聖霊による御言葉の力です。御言葉は、外から入ってきます。人の中にある罪の現実を知って悟りましょう。聖霊という外からの働きによって清められるのです。神の清さを祈り求めましょう。

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