主を知る者となる

2018年12月09日
横山基生師
エレミヤ書31:31~40

本日、宇都宮上町教会では特別礼拝として志木教会(埼玉県)から横山基生牧師を、お迎えして説教をしていただきました。

待降節第2聖日。今年のアドベントをどう過ごしておられますか? 旧約聖書には、メシアである主イエスキリストの預言が、イザヤ書のみならず、様々な預言書にあります。今日は、エレミヤ書からその預言を通し、クリスマスの意味を深く心に留めたいと願いします。

1.クリスマスは主なる神との深い交わりへの招きです。

今日の聖書箇所は、メシアの誕生預言というより、メシアが私たちに与えて下さる救いの内容についてです。31節に新しい契約をイスラエルの民とユダの民と結ぶとあります。33節後半に「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」とあります。天地を造られた神は、人と関わりをしっかりと持って下さる方です。私たちは互いに責任のある関係に入らず、適当な距離を保って生きたがる傾向にあります。しかし、祝福に満ちた命の溢れる生活は、表面的な関係からは生まれません。主なる神は、私たちを命に導き、幸いな生活を日々送れるために、私たちを神との契約という幸いな関係へと招かれています。

2.クリスマスは、古いものが新しくされるときです。

以前、結ばれた契約とは、イスラエルの民がモーセに導かれて出エジプトをなし、シナイ山の麓で結ばれたものでした。律法を行えば祝福を得、永遠の命に導かれる契約です。この契約では、うまくいかなったので、新しい契約を主は提案されました。何故うまくいかなかったのか?32節に「彼らはこの契約を破った」とある通り、私たち人間の側に問題がありました。私たちは「以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(エフェソ2:3) 神から見れば、どうしようもない存在の私たちに新しい救いの道を用意されました。私たちが、どんなに惨めでも、主は愛と知恵をもって新しい方法で私たちを包み導いて下さいます。私たちが途方に暮れそうなとき、哀歌の言葉を思い出しましょう。「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。」(哀歌3:22-23) クリスマスは、日々新しい恵みと真実をもって私たちを愛して下さることの印です。

3.クリスマスは、主が私たちの弱いところに手を差し伸べて下さるときです。

新しい契約の内容を主は次のように語りました。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」(33節後半) 以前は、どうだったかと申命記を見ると、律法は「彼らの前に」与えられ、「二枚の石板」に記されました。その律法は、罪の奴隷である私たちを救えず、罪の意識を与えるだけでした。新しい契約は、主イエス・キリストの血により、34節の最後にあるように私たちの罪の赦しがなされます。罪からの解放は、神の清き霊の注ぎを私たちに下さいます。そのことを通して私たちは、主なる神の御心である律法を喜んで行う者と変えられていきます。主は、私たちの一番の課題に解決を与えて下さるために御子を送って下さったのです。これがクリスマスであることを覚えましょう。

4.クリスマスは、主を知ることが増し加わるときです。

新しい契約による救いの結果もたらされる恵みは、「主を知ることが満ちる」ことであると分かります。聖書で「知る」というとき、知識以上のことを意味します。体験的に、人格的に知ることです。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ福音書17:3)と言われています。クリスマスによく引用されるイザヤ書11章には、御子の預言と平和の実現が記され、平和の有様を「大地は主を知る知識で満たされる。」(イザヤ11:9)と表現されています。主イエス・キリストを通して私たちは主なる神がどのような方かを知り、私たちの内に全き平安が与えられます。この平安こそ、クリスマスの出来事を通して、主からの私たちへの大いなる恵みです。

クリスマスを迎えるにあって、主が新しい恵みと手段をもって私たちに臨み、課題に対しても解決策を与えて下さることを知り、主なる神に心を向け、主の救いの御手にすがりましょう。そのことを通して私たちは、更に主がどんな方かを知ることができます。

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