命の木

2016年05月01日
川崎 献一
創世記3:20~24

先週の話を読んで、聖書の神は、不寛容と思われましたか?禁断の木の実(りんご?)を勝手に食べた位で、激怒して、執行猶予期間が長いとはいえ人を死罪とするとは。

それは、神が聖なる方で、罪(神に背くこと)を忌み嫌われるからです。でも、神は罪人になった者を不思議にも愛される方です。「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉もありますが、似ていますね。違いもありますが。

アダムは神に従い、他の動植物の名をつけていましたが、女の名をつけていませんでした。神から罰を宣告された後、付けた名がエバでした。その意味が「命」とは皮肉です。それは、人類には罰として「死」が与えられたからです。必死とは、「必ず死ぬ」と書きます。人は、生きるために必死になることがあっても、文字通り必ず死ぬのです。

私の名は「献一」です。牧師の親(母は信徒)が付けた名ですが、「献」という字が珍しいし、響きも「けんいち」は、ダサい気がして、あまり好きではありませんでした。

でも、これは神に献(ささ)げるという信仰的な名だったのです。私は、信仰を持つまでは、牧師などは堅苦しく、貧乏な仕事なので、牧師にはなる気もなく、日曜日も礼拝など出ずに外で働いて、自由に生きているつもりでした。

これは、真の自由ではなかったのです。死に至る道だったと信仰を持ってから知らされました。そこで「クリスチャンだって死ぬよ」という声も聞こえそうです。勿論、一度は死ぬでしょう。でも、クリスチャンには死からの復活が主イエスを信じることで約束されています。

アダムは、死を宣告された故に命の尊さを痛感し、自分達の子孫は、女の胎を通して生まれ続けることを予見しています。エデンの園を追放される前に女の名をアダムに付けさせた神は、やはり愛の方で、人の自由を重んじられています。そして、裸を恥とする2人に皮の衣をも与えました。只、罪人は、更に神に逆らう危険性があります。命の木の実まで食べることは「永遠の命」を得てしまいます。それで、神の御言葉を実現させるために楽園(聖なる場所には罪人を置かない)を追い出されたのです。クリスチャンには、永遠の命が保証されています。その命の木は、今や主イエスが掛けられた十字架に深い意味があります。

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