主の御名

2016年05月22日
川崎 献一
創世記4:17~26

キリストの福音(良きニュース)を強調する伝道礼拝には、本日の聖書箇所は相応しいでしょうか?

聖書はどこの箇所でも神の言葉です。今、学んでいる人類の初期の話は、現代にも暗い影を残して通じる問題です。

罪人の生涯が「さすらい」となり、カインも結婚し、子どもも出来ました。農業から建築家として神に転職させられたカインは、建物を数多く作って町造りをしていましたた。見えない神を意識できない人類は、神を見失い、仕事、子作り、育児、つまり世の事柄に埋没します。子孫繁栄といっても近親間で次々に子どもが生まれています。その中でレメクは、2人の妻をめとったことが特筆されています。本来、夫婦は一対一が人類の始まりです。それでも、神は罪人の自由を許し、子どもの誕生は進みます。一夫多妻の事実は、聖書にも記され、それを認めている宗教もあります。(日本では、重婚は禁止ですが)23、24節のレメクの怖い言葉は、罪が生んだ復讐を意味します。

現代でも実際に、殺人事件はありますが、ネット上も殺害予告や「死ね」「殺すぞ」という言葉が氾濫しています。度が過ぎた場合は、被害者が訴えたら、脅迫罪ということで警察も動きますが、酷い言葉を使ったから罪と断定したら、キリがないのがこの世です。

人の寿命は、今とは大分、違います。人類は、罪を犯した後も長寿を許され、現代人より10倍以上の高齢生涯(アダムの場合は930歳)です。罪人となっても、すぐには死なないので、罪や神の裁きの実感もありません。アベルは、神に命とられたのではなく、兄カインに殺されたのです。「カインのための復讐が7倍」という神の言葉は、残っていても、主の御名を求める人は、いなくなっていたようです。アベルの代わりの子として生まれたセト、その子のエノシュ誕生の頃、信仰復興が起き始めました。どんな人にも名前がありますが、神にも名があり、敢えて敬称を使い、主の御名というのです。新約時代の今は、主イエスの御名によって祈ることが出来る素晴らしい時代です。

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