失敗から学ぶ

2016年10月02日
川崎 献一
創世記12:10~20

人間に失敗は、付き物です。3大唯一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)共通の「信仰の父」アブラムも、神と出会った直後に大きな失敗をしました。それは、人を恐れたということです。結果的には、今、世間でも話題になってもいる不倫(姦通)の罪を妻サライに犯させる直前までいきました。

神に示された道を歩んでいたアブラムたちは、飢饉(天災)という試練に遭いました。そこから避難してエジプトに滞在していたら、今度は迫害(人災)を恐れ、アブラムには美人妻がいるため、自分の命が危ない(野蛮な時代)のでサライは妹(嘘ではない)と告げさせたのです。その苦肉の策は功を奏したかのように、妻はファラオ(エジプト王)に気に入られ、アブラムは更に財産も与えられました。これでハッピーエンドと願うなら信仰者ではないし、聖書物語も進みません。人は試練よりも誘惑に弱い存在なのです。

試練に耐えられず、信仰を失う人も多いでしょうが、試練ゆえに熱心に祈って乗り切る人もいます。しかし、誘惑は人間的には魅力あることです。その現実に満足させ、祈りなき脱線をサタンは狙います。アブラムは、妻を奪われてエジプトで幸せに過ごすことを神は許されませんでした。アブラムが信じる神の裁きとしてエジプトに恐ろしい病が与えられたことを、王は先に気付かされ、アブラム達を追放します。

後に「祝福の基」と敬われるアブラムの失敗は、神の御心から外れた(罪)ことです。人を恐れることより神を畏れるべきでした。妻サライを通して繁栄する子孫。その系図のゴールに主イエスの到来が約束されていたのです。まだ、妻との間に子どもが出来ていない現実も問題ではないのです。主の時がきたら、高齢夫婦からも子どもは出来ます。私達も、人を恐れることが多く、逆に見えない神の御心を侮りやすいのです。その事実に気付かされたら、神に祈り、自己実現ではなく、神の最善に期待するのです。失敗を犯したら、その罪を認めて悔い改めて再出発しましょう。

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