何からの救い?

2016年10月16日
川崎 献一
ローマの信徒への手紙10:5~13

※本日は栃木地区の講壇交換礼拝でしたので、川崎師が足利教会で行った説教の概要を掲載しています。

私達は、新約時代に生かされています。旧約時代の信仰から見たら、日本人は極東の果てに住む異邦人です。その律法を知らない外国人にも福音が与えられました。それは、律法を完全に守れる主イエスが、律法を守れない罪人である私達の身代わりとなって神からの罰を受けるために十字架に掛けられました。

6、7節にある聖句は「誰が天国に行けて、誰が地獄に落ちるか」と好奇心から問う人がいても、聖書は禁じます。確かに天国、地獄の存在は、他の聖書箇所にも書いてあります。もし、地獄という「真の意味で、とり返しがつかない」究極のマイナスが存在しないなら、本日のテーマ何からの救いでしょう。

地獄とはキリストを最期まで、信じない者が行くところですが、誰がという特定の固有名詞を人に言う資格はありません。なぜなら、人=全員罪人だからです。主は「人を裁くな」とも言われました。神でもない人が人を裁けません。神は救い主と同時に裁き主なので、今は憐れみ深い愛の方ですが、世の終わりには主権者として人を裁かれます。裁きがあるために罪が赦されることを救いと呼びます。

罪からの救いといっても、犯罪者が更正して人生をやり直すような意味にも、とられがちです。また、クリスチャンも知識では神の前での罪人と認めても、罪意識が薄れると救われた喜びを忘れます。それで、真実の救いを知る前に、生活上の苦難からの救いも祈り求め、実は本当に救われるべき問題は、あらゆる負の出来事の源にある神の前での罪からだと知らされていく導きに感謝が伴うのです。

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