伝道・救霊・信仰

2016年10月23日
川崎 献一
ヘブライ人への手紙11:3~7

この世では、「伝道」より「布教」という言葉を使います。他にもキリスト教葬儀の「前夜式」を「お通夜」と思う人も多いでしょう。クリスチャンでも「違いの説明も面倒だから、それでいい」となりがちです。言葉の表現の違いには、意味があるのですが、理屈っぽいと思われたくないし、日本人が特に重んじる「和」のためには、ある程度の妥協は必要にも思えます。

教会は、伝道をします。クリスチャンが人を教会に誘うことを勧めます。それは、神の命令だからです。来月、上町教会では、特別伝道集会を20日に予定しています。教団の伝道推進室の働きとして、東京から深井智朗牧師と神学生をお迎えします。本日のテーマの1つ目は、人が大いに励むべき伝道です。「神の愛と正しい唯一の道」を伝えることを使命とする、本日は、月一回の伝道礼拝でした。

2つ目のテーマ「救霊」という言葉の印象は?これは、人には出来ない神だけの領域です。人は、人に伝えることまでは出来ます。今は、郵便や電話、FAXのみならず、メールやラインまで情報提供の手段は様々あります。でも、伝え聞いた人が、それを信じる(心に届く)ことは、神の御業です。魂が罪から救われることは、聖霊なる神の力です。聖書には、「人の魂を救え」とは一言もなく「御言葉を宣べ伝えなさい」とあります。人が行った伝道が、神に祝福された時、救霊の実が成るのです。勿論、伝道する時にも欠かせないことは日々の祈りです。

救霊は、神の側からの言葉ですが、人の側からは「信仰」と表現します。本日のテキストで旧約聖書のノアの時代までの有名な信仰者の名が記されています。信仰も神からの賜物です。信仰を持って歩むのですが、失った信仰の復興は有り得ます。人生の最期に、神の前で「信じたら救われる」が実現しているか、信仰の結果が救霊です。私達は信仰を持って、人々の救霊のために伝道します。

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