競争社会

2016年10月30日
川崎 献一
創世記14:1~12

古今東西、競争は勿論、戦争が全くない時代はありません。日本でも、国家間の戦争こそ、70年以上もなくとも、競争社会からくる歪みはあり、様々な社会問題を国は抱えています。また、海外では戦争やテロが止みません。本日の聖書物語は、競争というより戦争でしょう。カタカナの名前が多くありますが、これは12年間、エラムの王に支配されていた5つの国の王が我慢の限界の末、同盟を結び反乱➡戦争となりました。支配からの解放です。

「支配」という言葉を文字通りに解釈すると健全な指導者による「支えと配慮」によって成り立たせるべきものですが、現実は威圧感がある言葉です。現代でも、北朝鮮の独裁による支配は、恐怖政治により一致を保たせていますが、国民の本音は、民主主義への移行でしょう。朝鮮民主主義人民共和国が正式名称ですが、現実は全く違います。

本日のテーマに対し「戦争は罪でも、競争は罪ではない」と思う人も多いでしょう。競争は、互いが切磋琢磨して規則に従って競うなら健全であり、許容範囲の争いという考えです。しかし、競争意識には誘惑が伴います。聖書の原点に戻るなら、罪がない「エデンの園」は競争もなく、互いが比べ合うこともなかったのです。つまり、神からの賜物として個性を認め合う世界です。そこで終わりにくいのが、罪人です。競争で勝った方が、悪い意味の支配欲から、相手を敵とみて殺したり、奴隷としていくのです。アブラムの甥ロトも、その犠牲に遭い、財産没収、ロトも捕虜となりました。競争社会の極端な結果=戦争と言えます。

私達は、唯一の神に造られ、神の支配の中に生かされています。勿論、神の権威はありますが、それは強制服従ではありません。人類には、感謝なことに自由が与えられています。その神の愛に気付かされた者が信仰者です。真の支配者なる神を礼拝をして、隣人を愛する姿勢へと導かれます。

コンテンツ

お知らせ