永遠の幸せ

2016年11月6日
川崎 献一
ヨハネの手紙一5:13~15

人は誰でも幸せを求めますが、死の到来を幸せとは言いません。むしろ、不幸です。訃報を聞いたら多くの人が悲しみます。故人との関係が深かった人ほど「もっと生きて欲しかった」と無念に思います。死んだら終わりという考えは、地上で生きてこその幸せと思っています。地上で永遠に生きられたら、素晴らしいでしょうか?でも、よく考えたら、地上には負の出来事が多いため、天上の世界に憧れます。それは聖徒とされた者です。クリスチャンは、死を目標に生きている、いや生かされていると言えば、世の人はひいてしまう人が多いでしょう。

神は私達の生活に必要なものを与えられますが、人は必要以上を願い求めたがります。また、神ご自身が永遠の命です。召天者とは神に地上の命を取られ、天に召された人を意味しますが、唯一の条件が主イエスへの信仰です。逆に主は天国から地に降りて来られ、私達と同じような人生を体験され、その最期は十字架刑でした。

この真実を知ったら、地上的な願い事は有限の価値しかないと悟ります。一時的な喜びを繋ぎ合わせての幸せを求めています。祈り願っても実現しなかったなら、神の御心に適う(許容も含む)祈りであったか問われます。最も大事な永遠の幸せに関しては、主を信じているならば100%実現します。地上で、どんなに理不尽な目に遭っても、この約束は絶対です。

「私は今、幸せです」の内容として「万事がうまくいっているから」ならキリスト教信仰からは、違和感を持ちます。しかし「嫌なことがあっても、神が共におられるから」という理由は信仰的でしょう。更に「永遠の命に感謝できるから」と実感して言えるようになれば、霊的です。聖霊の導きで「死」の恐れからも解放されています。この信仰を求めてこそ、神の御心に適う願いで、既に叶えられているのです。

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