キリストの予型(モデル)

2016年11月27日
川崎 献一師
創世記14:17~24

予型という言葉は、一般的には使いませんが「未来を暗示するモデル」と言ってもいいでしょう。モデルとは?理想の人でしょうか?ファッション・モデルを連想する人もいるでしょう。あれは、姿・形が美しく、服の着こなしも最高の外見ということになります。自分にとって憧れる対象の存在には、妬みの感情を超えています。逆に対等な相手には、競争意識が生まれます。

主イエスが到来されてこその新約時代です。主が、人の子として誕生された日がクリスマスです。教会では、クリスマスを待ち望むアドベントの時期に入りました。もう一方で、主は神の子なので、天地創造前からおられる方です。そして、旧約時代にも主はメルキゼデクとして、アブラムの前に姿を現されました。その不思議な記事が本日のテキストです。難しいですか?

神と人類が、一方的でも相手の意志を尊重する契約関係にあることを知らない日本人には、わかりにくい話でしょうか。メルキゼデクは、サレム(意味は平和、後のエルサレム)の王ですが、祭司ということは、神と人の仲保者です。アブラムは、当時の外国の王を通し、神からの祝福を受けました。神は外国人をも支配されていますが、唯一の存在です。アブラムは、メルキゼデクが真理に基づく神の人と察知しました。

戦勝者アブラムは、メルキゼデクから祝福としてパンと葡萄酒を受けました。これは現代に至るまでの教会の礼拝の中で行われる聖餐式を暗示します。カトリック教会では、ミサです。その祝福への応答に献げもの、全て神の力によるという信仰から、一部をお返しする感謝の姿勢です。一方、ソドムの王からの財産授与は拒み、神から直接養われる信仰を貫きました。只、そんな信仰がない人々への必要物は求めました。

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