主イエスとダビデ王

2016年12月4日
川崎 献一師
マタイによる福音書1:1~17

クリスマスの本来の意味として、聖書はユダヤ人が系図をもって待ち望んだ歴史から記します。一方、現実のクリスマスは、キリスト教文化を利用した結果、世俗的なクリスマスを正当化して楽しみます。そのギャップに生きるクリスチャンは、本来の意味を尊びながら、万人が求める共通のキーワード「喜び」をアピールして、神への礼拝の後の祝会をも楽しみつつ伝道を目指します。

ダビデの町ベツレヘムで生まれた主イエスは、あのダビデ王以上の救い主としてユダヤ人の希望の星でした。日本人には分かりにくい話でしょうし、ユダヤ民族の長・アブラハムから始める系図を「実感できないから関係ない」と拒むのも自由です。でも、それは砕かれるべき自我です。その態度では真の幸せを遠ざけることになるからこそ、教会では、愛と忍耐から聖書の学びを勧めます。

この系図には、いろんな人が入っています。男性中心ですが、遊女ラハブや異邦人ルツ等によって出来た子どもも入っているとは、当時のユダヤ人の価値観からは有り得ません。また、ダビデのみが王という称号(6節)も加えてあります。そのダビデは、不倫をして当時の夫を激戦区で殺させ、略奪結婚しました。最初の子は、神の罰か幼い頃に亡くしましたが、次の子ソロモンが系図に入っています。ダビデは、罪を悔い改めた王ですが、後の王は偶像崇拝など酷い罪を犯すような王も系図入りです。そして、神の選民でありながら、バビロン捕囚(70年)という試練、主イエスが生まれた当時も、支配国は変わってもローマの植民地になっていました。

メッセージとしては、教会に集う人も、ユダヤの民も清くないということ。罪人を招き、神が罪を赦し、清い人へと造り変えようとされます。これは、神の愛から来ています。アブラハムやダビデとも違い、主イエスのみが神の子として誕生されました。系図の最後のヨセフと主は血縁関係はありません。ヨセフの妻マリアの胎内に、聖霊(神=実父)によって身ごもられた主は、表面的には、民族の系図(秩序)を重んじつつも、常識を超えた方法で、神が人となられての登場です。

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