インマヌエル

2016年12月11日
川崎 献一師
マタイによる福音書1:18~25

最近、世間では「神っている」や「神対応」という言葉を聞きます。「神」と呼ばれるような凄い人や神的な対応に感動するということです。

実は、約2000年前に正(まさ)しく、そのような方いや神の子が誕生されているのです。

でも、現実を見れば神の存在を疑う人も多いでしょう。毎日、事件、事故のニュースは必ずあるし、「天の声」を聴いたという宗教家が犯罪者だったことで、偽宗教も多くあります。 

そんな中、健全な信仰を求める教会では、自分達の罪深さを認めているからこそ、聖書に真摯に向き合う姿勢です。見えない神を信じることは、凡人には至難の業ですが、ヨセフの夢に現れた天使の言葉こそ「天の声」です。

主イエスの母・マリアは、聖霊(神)によって主を身篭りました。形だけを見ると、俗に言う「できちゃった婚」です。結婚前のマリアの妊娠を正しい人(神の律法遵守者)・ヨセフは離縁を決心しますが、マリアを憎みません。マリアに何かの事情(例えば、誰かにレイプされた、また当時の医療では妊娠後の中絶手術も出来ない)との配慮から身を引くことにします。

律法を守ることは原則ですが、絶対ではありません。律法自体より、その律法を作られた神の御言葉こそ絶対です。ヨセフは、天使を通しての神の命令を信じ、婚約通りマリアと結ばれ、イエス(「神は救い」の意)という名も付けることにします。神の民(新約時代は全てのクリスチャン)を救われる方は、側におられます。ヨセフのように夢の中でも強い神体験があれば、神は聖霊として、単なる存在ではなく、私達に生きて働かれます。「共にいて下さい」(インマヌエルを求める)と祈る人もいますが、私達の不信仰から、その真実が実感できないだけです。「主よ、臨在して下さい」と祈りましょう。

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