主の祈りの恵み

2017年1月1日
川崎 献一師
マタイによる福音書6:5~15

新年おめでとうございます!上町教会では年末に続き、2週連続で子供と大人が共に礼拝を献げました。

クリスマスも御馳走を食べたり、プレゼントもらったりと楽しみ、正月は神社へ行くという日本人は多くいます。今年が良い年になりますようにと、初詣に行くことは、信教の自由の世の中では、容認されていますが、聖書の神はガッカリなさることです。

聖書には、愛の神の規則(律法)が、しっかりと書かれています。まず神は、唯一の方です。それは、私達にイエス様を与えて下さった父なる神のことです。祈りは、この神に対してだけで、それもイエス様の御名によって祈るのです。

でも、本当の神を知らない人には、広い心を持って接するべきです。神社などで祈願する人達のことも神は愛しておられます。そんな人達にも、本当の神と出会えるように、私達は、祈ります。

教会では、礼拝の中で「主の祈り」を献げます。毎週9時からの教会学校でも、10時半からの大人中心の礼拝でも、今日は「主の祈り」がなかったという日曜日はありません。今日の聖書では、イエス様は「主の祈り」を教えておられます。

教会で使っている「主の祈り」の言葉とは、多少違いますが、意味は大体、同じです。まず、神に対して父と呼び掛けます。自由な祈りの言葉でも「天のお父様」と祈り始める人は多いです。「私達」または古い言葉で「我ら」と祈るということは、みんなで祈る共通のものということです。

まず、イエス様の弟子たちに教えられた「主の祈り」は、約2000年後の教会にも恵みとして与えられています。祈りがわからない、祈ることが出来なくなったという場合も「主の祈り」は出来ます。意味がわからなくても、幼稚園の子でも「主の祈り」は覚えられます。意味がわかるようになった時に、心から感謝できるようになります。神に祝福される最高の恵みを知るために是非、教会へお越しください。

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