1対1の関係

2017年1月8日
川崎 献一師
創世記15章

神とアブラムは「1対1の関係」から始まっています。幻の中、場所は野外にも移動したので密室ではなくても、周りに第3者は誰もいません。祈りにも人の生活にも大別すると、2種類あります。祈りの場合は、公(教会や他の集会への出席)と密室です。一般人にも公と私生活の2種類ありますが、クリスチャンにとっては、両方で信仰生活です。教会では子ども祝福式があったり、何より洗礼式では神の子とされた約束を受けて感謝します。それは喜ぶべきことですが、洗礼の喜びが現実の生活にまで、いつも及んでいるか問われます。

アブラムも、神の約束という御言葉のみで満足できない本音を訴えたのが、2節です。子どもがいないのに、子孫繁栄など有り得ません。奴隷エリエゼルが養子になるのですか?という話ですが、神は否定されます。「あなたから生まれる」という御言葉は、老夫婦に子どもなど出来ないという常識への挑戦です。神の力を常識から判断せず、全知全能の神を信じよということです。神は神の作品である天の星を数えさせ、その星のように数え切れない程の数の子孫が繁栄することを示されました。アブラムがそれを信じたということは、人間的に納得できたからではなく、神の御言葉の迫りを受けて承認したということです。

アブラムは、6節で神に「正しい人」と見なされたのですが、人間である以上、納得できる印を求めました。その8節の言葉に対し、憐れみ深い神は、契約の献げものを持って来させました。この5種類の動物、年齢も指定されています。それらを揃えること自体、大変であって信仰がなければ出来ない話ですが、アブラムは真摯に従います。なぜなら神から祝福されることこそ、人生最大の価値であり、そのために必要な契約の儀式だからです。新約時代の今では、洗礼式と聖餐式が公なる教会で行われている一方で、毎日の霊的密室が欠かせません。

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