長寿の祝福

2016年05月29日
川崎 献一
創世記5章

今の日本も高齢化社会ですが、初期の人類は1桁多い寿命が神に与えられていました。930歳まで生きたアダムは、長男カインに殺されたアベルの代わりに、セトという男子を与えられました。それも130歳という高齢での誕生です。

単純に今の常識とは、比べられません。否、神の御業は、時代によって変わり、世の常識をも支配され、時には常識を覆すことも出来る(数々の奇跡)全知全能の神ということを忘れてもいけません。アダムの系図は、長寿の祝福を物語っています。それは神の愛であり、罪人をすぐには死なせない点に憐み深さを示されます。と同時に、人は生まれては死ぬという事実を繰り返すことは、罪人となったからです。最初の人アダムは、聖なる神の似姿として造られたので、罪さえ犯さなければエデンの園で永遠に生きられたのです。セトは、神ではなくアダムに似たとあります。罪の遺伝子を受け継いでいるのです。すぐに死んだ人はアベルだけで、それは神の意志でありません。でも、すぐに死なないことが神の裁きを忘れさせることになります。現代人も神を見失い、神への罪意識に鈍くなっています。

聖書は、人生の内容で特筆すべきことのみ記します。長寿とはいえ、人の年齢と生死が繰り返されたことのみ無味乾燥に記録されている意図として「そして死んだ」という表現に虚しさを感じます。そんな中でエノクという人物は例外です。罪人ながらも、聖なる神と共に歩んだことから死を経験せずに地上から天へ移されたのです。彼のみ、800年以上の寿命の人ばかりの中で365歳の生涯でした。365とは、1年の日数であり、神に完全な人と認められたのです。長寿とはいえ、人生には困難が伴い、最期には死を迎えます。それは、罪によって大地は呪われたことを意味します。有名な洪水物語に出てくるノアは、慰めという意味の名を付けられました。真の祝福は、永遠の命です。罪がないのに死なれた主イエスこそ、私達の慰めであり、希望です。高齢化社会の今、長生きすれば幸せとは言い切れない現実を超えて、教会は聖書信仰に立って福音(グッドニュース)を伝え続けるために、多くの人を招き続けます。

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