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永遠の契約

2017年2月5日
川崎 献一師
創世記17:15~27

永遠とは、時間が無限に続くというより、時空を超えた世界です。便利な社会に生きている21世紀の私達にも体験できません。時間という過去・現在・未来の世界の外に出ることなど想定外の話です。只、その約束を神がアブラハム個人に与えられたのです。聖なる永遠の神と罪人の私達には、大きな隔たりがあります。神の方から、私達の世界へ降りて下さらないと、わからない話です。神は、人類への「永遠の契約」を示しておられます。旧約時代は、割礼を受けることが、その印なのですが、アブラハムは、契約の内容の全ては理解できないままにも御言葉を拝聴しています。

100才と90才の超高齢夫婦に子どもなんてと常識的に考えるアブラハムの信仰には限りがありました。神の全知全能性を、いつの間にか否定しているのです。イシュマエルであれば、実の母はサラではありません。神は、イサクという名をついに出されます。その命名の意味は「彼は笑う」ですが、喜びの笑いです。その前に、苦笑いをしたようなアブラハムの姿勢も皮肉な意味で掛かっています。イサクの子孫が「永遠の契約」の成就者・イエス様です。

教会で行われる聖餐式は、永遠の契約を再確認する厳かな儀式です。19節の「彼の子孫のために」というのは、その子孫の究極は十字架上で、私達のために死なれたイエス様のことです。旧約時代の預言者たちは、このアブラハム、イサクの子孫から神の遠大な御計画の下、神の祝福が成就すると語っています。アブラハムは、即行で神の御言葉に従い、自分も含め家族全員の男に割礼を受けさせました。この旧約の割礼は、新約時代の今では洗礼という儀式に代わります。聖餐は、洗礼を受けている人のみが預かる恵みの特権ですが、洗礼を受けていない人も、教会生活を続けて信仰が与えられるように、祈ります。この信仰という賜物も、神の奇跡です。常識や経験を規準に生きてきた人が、それらを超えて神を信じられるようになるとは聖霊の働きなくしては有り得ません。教会に来られている人は幸いです。

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