執り成しの祈り

2017年02月26日
川崎 献一師
創世記18:16~33

 「執り成し」とは、「人の為に」というキリスト教の特徴的な祈りです。全て神によって造られ、愛されている対象ということが主イエスから示されます。それは、先週の特別礼拝で潮先生(仙台青葉荘教会)が語られたテーマの「道・真理・いのち」からも言えます。イエス様が、分裂をもたらす人々の違いの垣根をとって下さったのです。

新約聖書では、神の前で正しい者は一人もいないと明らかにされています。唯一の例外が神の子・イエス様ですが、他は全員罪人です。旧約のアブラハムもモーセもダビデも漏れなく罪人です。そのイエス様は、御自分以外の全世界、全時代の罪人の身代わりのために十字架に掛けられました。この世には10人どころか、1人も正しい者などいないため、神の子が死なれたのです。今週の水曜日から教会暦では、レントに入ります。特に深く十字架の主に思いを向ける時期です。約2000年前にイエス様は、天に昇られ、見えない方になられても、今も聖霊として働かれ、弱い私達のために「執り成しの祈り」を献げて下さっています。その愛に励まされて、私達もイエス様の御名によって祈り続けるのです。

本日のテキストで、アブラハムが執り成した祈りもソドムの救いのためでしたが、限界がありました。「10人もの正しい者がソドムにもいるかも知れない」と切実に神と交わったのです。祈りの結果は、神に委ねます。イエス様も十字架上で「父よ彼らを、お赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」と究極の執り成しの祈りをなさいました。この祈りは、「独り子を信じる者が、1人も滅びず永遠の命を得るため」にあった100%の愛の祈りです。勿論、信じなくても自動的に救われることはありません。神の愛に応えて、信じた者が救われます。殆どの日本人の魂が滅びに向かってる現実に無関心ではいられません。私達もソドムのような罪深い世の中にあって、イエス様に繋がっている信仰から「執り成しの祈り」をし続けましょう。

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