公然と話す方

2017年04月02日
川崎 献一師
ヨハネによる福音書18:19~24

イエス様は、約2000年前の当時の人々から絶大な人気がありながら、逮捕され、大祭司の下へ連行されました。犯罪どころか、善行しかしていません。実は、全て誤解が誤解を生んでいるのです。逮捕した側の言い分として、イエスは多くの人々を惑わし、ユダヤ教に挑戦するように新興宗教を生み出し、弟子も作ったということです。病気の癒しなどは、素晴らしいことですが、自分を神としているとも見なされました。そして、裁判に掛けられていきます。これは夜中から夜明けにかけての出来事です。正に、闇の時間にサタンがイエス様に勝利するかのような錯覚に陥らせます。

大祭司は、当時のユダヤ社会での権力者、神と人を取り持つユダヤ教の祭司たちを統括し、更に政治的にも影響力を持った人です。その大祭司に問われた時のイエス様の答えの中に、本日のテーマがあります。イエス様には裏表はなく「何もやましいことはない」という堂々とした態度です。実際に犯罪のため、逮捕された人は、衣類などを被って顔を隠す者も多くいますが、イエス様には、卑屈になることも反省する必要も全くありません。主にあっての自信があります。100%クリーンな神の子です。

私達も簡単には、イエス様のように清くはなれませんが、イエス様は祈りの人でした。早天祈祷会を行う教会、または個人的に霊的密室、家庭礼拝を早朝から行う人は、福音書に記されているイエス様を見習っているのです。自分を弱いと認めているからこそ、私達も神に祈るのです。そのイエス様が、公然と神の御心を語られたように、代々に渡って公の教会では礼拝説教が成されています。イエス様は、公の場で尋問を受け、最期には公開処刑として十字架に付けられました。現代では、どんな凶悪犯罪者の死刑でも、公には殆ど行われません。密かに執行され、事後報告です。死刑囚にも人権への配慮があり、死刑自体が残酷で人々に悪影響を及ぼすとみて、公開するわけにはいきません。礼拝の中で行われる聖餐式も、聖書でイエス様によって命じられているから、代々の教会は忠実に行っているのです。 

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