新生の時

2016年06月05日
川崎 献一
マタイによる福音書3:13~17

宇都宮上町教会は、日本基督教団内のホーリネスの群(略してホ群)に属しています。ホ群の信仰基盤は「四重の福音」です。毎年、6月を強調月間としています。それは戦時中、1942年6月26日に政府による弾圧を受けたことから、試練の歴史を風化させないためです。特に、四つ目の再臨信仰が、当時の施政者の標的とされたのです。

「四重の福音」とは、主イエスによる唯一の福音に、4つの要素があるということです。ホーリネス系の教会は、個人の信仰体験を重んじ、主イエスの似姿を目指します。

最初の人・アダムは神の似姿として造られたのに、罪人=神に似ていない者に堕落しました。その罪からの救いのために主イエスは、世に来られました。

キリスト教の洗礼は、罪の赦しの宣告です。新生体験を願っています。「転性輪廻」のような、次の世での肉体の生まれ変わりではなく、新しい価値観での人生の始まり、つまり、洗礼は、ゴールではなく信仰生活のスタートです。

主も神であったのに、人となられた意味で新しくされるため、受洗されましたが、洗礼者ヨハネは、戸惑います。洗礼には、罪の悔い改めが伴うのに、主には罪を見いだせません。ヨハネは、預言者ですが罪人の自覚があり、むしろ、「主から私が受洗すべき」と言いました。主は、受洗の必要がない唯一の聖人ですが、受洗を望まれました。

クリスチャンは、主の似姿を目指すべきですが、その前に主が神でありながら、罪人の似姿となられたのです。

この世でも、洗礼という言葉を使います。例えば、高校野球から鳴り物入りで、投手としてマウンドに立った期待のルーキーがヒットを打ちまくられ「プロの洗礼を浴びる」等、実力の差を体験する試練。実は、主の人生も試練の連続です。公生涯に入ったということは、迫害を受け、最期には十字架刑が待っています。人間だから、様々な試練も受ける覚悟の洗礼です。まずは、教会では水が用いられての洗礼式ですが、見えない聖霊を受けてこその真の新生です。受洗日を「第2の誕生日」とも言いますが、「主イエスに従ってみる」という決断が先立ち、その後、真の新生の時も主によって定められています。

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