復活の主

2017年04月16日
川崎 献一師
ヨハネによる福音書20:1~10

教会学校では、幼稚園を借りて卵探しゲームをしました。なぜ毎年、卵なのか?イースターでは、茹で卵を使いますが、卵は命の象徴です。雌鶏が産んだ卵から、ヒヨコが生まれます。キリスト教では、卵が割れて殻だけになったことを主イエスが二日前の金曜日に十字架で死なれて墓に入れられた後、墓は空っぽになっていたことを指します。 主が死なれて三日後に甦られたという人もいますが、三日後というと月曜日になるので、正確には三日目の朝です。この三日には、金曜日の主の十字架刑の出来事が含まれています。死後、三日目の朝が週の始めで日曜日です。今年は、3月1日から受難節に入り、昨日、受難節が終わりました。長い期間でした。イースターは、その翌日です。そして、日曜日のことを教会では「主日」とも言います。イエス様のことを主とも呼びます。日曜日は、休日の人が多い筈です。復活の主を覚えて毎週、教会で礼拝を献げましょう。神様が喜ばれることです。  

私達にとって受難節は長く感じますが、約2000年前の人達にとっては、短い間に色んなことが起きていました。1週間前には主は、子ロバに乗ってエルサレムに入り、みんなから大歓迎を受けていました。でも、その5日後には多くの人の心が豹変し、主を十字架につけることに賛成したのです。人の心は天気のように変わりやすいものです。しかし、主なる神の御心は不変です。私達を愛しておられます。

マグダラのマリアは、罪深い自分をも受け入れて下さった主が死なれても愛していました。朝早く、まだ暗いのに墓に行ったのは、主の遺体に、香油を塗るためです。でも、その必要がなくなった現実に驚きました。何と墓の中に遺体がなかったのです。急いで他の2人の男の弟子にも伝えました。この後、主は、マリアに見える姿で現れます。男より女の前に主は先に登場されます。女性差別が根強い時代に主は女性を顧み、優先されました。約2000年も時が経ち、私達は見えるイエス様と会ってはいません。それでも、復活の主を信じた人をクリスチャンと呼び、主イエスの愛の御言葉に従う関係を目指します。 

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