友好的な態度

2017年05月14日
川崎 献一師
創世記21:22~34

国籍が天にあるクリスチャンは、そのゴールに辿り着く前に、この世ですべきことがあります。それは、神が共におられることを証しすることです。クリスチャンの日々の生活から地道であっても「この人を見ていると、神が共におられるからとしか思えない」という印象は神を証しします。人は、周りの多くの人からの影響を受けます。特に成長過程の子どもや若者は感受性が豊かなので、誰から影響を受けているかは大事です。育児をしている親や教育の仕事に就いている現場の先生達には責任もあります。クリスチャンが目標とする人物は、勿論イエス様です。この俗世間でイエス様に似た人となれば、聖なるイエス様から影響を受けていることになります。教会で、よく使う表現としては、神の御言葉に従っていることになります。 

アブラハムは自分の生き様から真の神を証していました。それでアビメレク王とピコルという軍隊長が、アブラハムの信仰姿勢を認めていたのです。アビメレク達は、他の神を信じていましたが、アブラハムの神は素晴らしい、逆にその神を敵にはしたくないという打算もあったのです。世界の宗教観には、大別して3つあります。1つは、唯一神教。キリスト教以外にユダヤ、イスラム教があります。他の神を認めない点は、融通が効かない排他性を含んでいます。2つめは、多神教。日本人にも見られる多くの神々への信仰、八百万の神。人の都合に合わせて神を造る偶像であり、節操がない信じ方です。3つ目は、拝一神。神が多くあることは認めても、その中で私は「この神を信じる」と選びます。3つの中で、最も寛容で理想の信仰姿勢に思われるかも知れません。本日のアビメレクのように多くの神々の中でもアブラハムの神は凄いとう信じ方があったのです。現代日本にも、真面目で謙虚なクリスチャンを見て「キリストさんの神は凄いね」などと褒める人もいるのです。アブラハムも神と出会って、最初は拝一神の姿勢だったでしょう。父のテラは、月の神を拝んでいましたから。それが神との交わりから唯一神を知り、モーセの時代には律法を与えられた神が宣言され、新約時代にはその神はイエス様の父なる方という真理が、はっきりされました。 

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