天を見つめて

2017年05月28日
川崎 献一師
使徒言行録1:6~11

世間では、知られていないキリスト教専門用語は多くあります。使徒という言葉は「派遣された者」という意味ですが、一般的には使いません。それまでは、世でも解かりやすい「弟子たち」と呼ばれていた者が使徒たちと呼ばれるのです。「使徒」より、もっと聖書の中心的な言葉「福音、贖罪、聖霊」等は難しい言葉でしょう。また、「伝道」という言葉より、「布教」という言葉の方が世では浸透しています。  

使徒たちの問いに、イエス様は違和感を持たれました。国の再建こそイスラエルの平和と思っているからです。イエス様は、もっとスケールが大きい本当の幸せは聖霊によって解ると言われています。地上が繁栄することは、世の人には魅力的です。誰だって他国の植民地には住みたくないでしょう。イスラエルもローマの属国から解放されて先祖のダビデやソロモンの時代にように、強くて裕福な国になってほしいわけです。世の人の強さの象徴として「お金」があります。北朝鮮などは、そのお金を軍事力に使い誇っています。8節の力とは、お金でも学力、軍事力、体力でもありません。また、精神力などは似た感じもしますが、人間の精神だと内側に備わっている力なので、イエス様が言われるのは、聖霊の力、つまり神の介入による外からの働きです。使徒たちは、全世界に福音(幸福ニュース)を伝える聖霊の働きに身を委ね、神の器として用いられます。 

超自然現象ですが、イエス様は「さよなら」も言われずに天に昇られました。使徒たちへの「私の証人となる」が最期の言葉です。一般社会では、お別れする時は、挨拶するものですが、イエス様は常識を超えた方です。ウルトラマンのように自力で空を飛ぶというより、神の力を受けてイエス様は天に上げられ、その姿は、天の果てに見えなくなりました。使徒たちは、見えるイエス様と2回目の別れです。1回目は、十字架での死別、辛い出来事でしたが、3日目の朝には再会できました。もう、使徒たちに悲しみはありません。神がなさった御業を次々と受け入れ、天使の最後の言葉も信じます。それは天から降りて来られる再臨のイエス様の姿です。その日時は分かりません。それどころか、本日のテキストの時代から2000年以上が経ってもイエス様はまだ再臨されていませんが、愚直に私達クリスチャン達は待ち望んで生かされています。 

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