甘い誘惑

2017年07月02日
川崎 献一師
創世記3:1~19

本日は、栃木地区の講壇交換礼拝ということで、川崎牧師が宇都宮東伝道所(森田泰司牧師が通常は在任)で説教した内容の一部が公開されています。 

蛇という存在は、最も賢い生き物ということで最初は人間より優れていました。その蛇がアダムではなく、まだ名前がない女に声をかけました。当時の蛇は喋ることも出来ました。蛇の問いに女は答えます。人類にとって殆どの物を食べていい自由があったのですが、神は例外の食物を試験的に備えられてました。そして、その木の実を食べた結果に「死」が待っていました。蛇は、その御言葉を否定しました。ということは、蛇には罪がありました。罪とは、神の御心から的外れという意味です。蛇は悪魔の象徴、悪魔の化身が蛇として現れました。蛇の言葉は、巧妙です。「その木の実を食べたら神のように賢くなれる」と言っただけで直接は誘っていません。それまでの女は、神の御言葉を純粋に信じていましたが、蛇の言葉を聞いたら、神よりも木に目が映ったのです。蛇の言葉には、嘘もありました。神は「必ず死んでしまう」と先に言われているのに、蛇は「決して死ぬことはない」と言いました。女は、誘惑に負けて実を食べました。そして、男も実を受け取って食べました。神が言われた通り、死んだでしょうか?いえ、生きています。この部分だけをとれば、蛇の言葉が正しく神の御言葉が間違っていたとも思えます。しかし、長い目で見れば逆です。神は、「すぐに死ぬ」とは言われていません。アダムは、実に930才まで生かされましたが、人は必ず死ぬという神の御言葉は真実だったのです。 

神は、アダムに、まず声をかけられました。アダムは正直に答えます。女に責任転嫁するアダムですが、神はアダムをすぐには責めません。女を責めました。女も正直に答え、責任転嫁します。確かに2人が言うことに一理はあると神は認めておられます。 神の裁きの御言葉は、まず罪の元凶である蛇に対してです。蛇は、神の前で全く無口です。つまり、話せなくなったのでしょう。それまでの姿から非常にグロテスクな生き物になったのは、神に呪われた証しです。後々、蛇は嫌われ者の代表のような存在となります。蛇を好きな人も世の中にはいますが、それは悪を好む人の存在にも通じます。女への裁きは、妊娠と出産の苦しみと男に支配される歴史をも預言されています。男中心となる社会は、人類最初の堕落から始まっています。禁断の木の実が美味しそうに見えたという感覚自体が甘い誘惑だったのです。女は、神のようになれるという蛇の言葉に唆され、自発的に食べたのです。女は、アダムにとっては最初から甘いエロースの対象です。神に女が連れて来られた時、アダムは大歓迎しました。神に従うより、後から神によって造られたに過ぎない女に従ったのです。「愛する女が食べるなら私も」という点にも甘い誘惑が潜んでいました。アダムには、労働の苦しみが与えられ、最後には死ぬことになります。「必死」という日本語は意味深です。人は食べていくためには必死に働きますが、「必ずいつか死ぬ」ということを暗示しています。

私達を信仰から離れさせるものには、2つあります。試練と誘惑です。試練の苦しさから、脱落する人も多くいますが、祈って乗り越える人もいます。厄介なのが、甘い誘惑です。人間的には魅力的なので、まんまと引っかかります。試練を受けても乗り越えた人が、誘惑には負ける例はいくつもあります。人類の罪の堕落も有り難くない試練ではなく、甘い誘惑によるものでした。皆さんにとっては何が誘惑になっているでしょうか?私達の主イエスは、悪魔の再三に渡る誘惑に見事に勝利された究極のモデルです。主に出会うために、教会へ行ってみましょう。  

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