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神の誓い

2017年07月16日
川崎 献一師
創世記24:1~10

誓いとは「あることの実行を固く約束すること」と辞書にありました。誓い合うというのは、結婚式の夫婦の言葉を連想する人も多いでしょう。アブラハム物語も終わりに近づきましたが、イサクの嫁探しの場面に聖書は多くのスペースをとっています。  それにしても、アブラハム夫婦の出会いの記事はないのに、やっと与えられた息子イサクの結婚の経緯を聖書は、非常に関心を持っています。人間的には、イサクの結婚は「お見合い」でしょうが、神の意志に基づかれたものです。世の中には、恋愛や人に紹介されての結婚もあるでしょう。一般的な考えでは、お互いが好きという感情があることが一番と思うでしょう。カナンにも、イサク好みの女性は何人もいたでしょうが、アブラハムの考えは、神への信仰に基づきます。神は、アブラハムの故郷にいる女性からイサクの嫁を与えるということ、その女性をカナンに連れてくることを神の御心と信じていたのです。アブラハムはカナンに寄留していて、家族のための墓地は買いましたが、カナンには真の神を信じていない人々が多く住んでいます。カナンが聖地イスラエルになるには、まだまだ後の時代です。  

クリスチャン同士の結婚は、日本では難しいものです。価値観が同じ人という意味では、ノンクリスチャンとの結婚を避けたいという考えもあります。逆にそこに拘っていたら、現実的には結婚できないという人もいます。好きになった相手が一般人でも、自分の信仰を相手にも理解させ、いずれは相手も洗礼を受けたらと思う場合が一番多いかも知れません。クリスチャン同士の結婚だからといって、必ずしも順調に行くとは限りませんし、そうじゃない人同士でも「おしどり夫婦」の場合もあります。クリスチャンは、現実から神を判断するのではなく、何事も神に祈った上で、与えられる現実の環境の中で御言葉に従うことが本来の姿です。  いずれにしても、神の支配の中での結婚です。キリスト教式で結婚する形を一般の男女が希望する場合もあります。それでも司式者は「神に合わされた夫婦」と信じて強調します。実際、アブラ(ハ)ム自身が真の神と出会う前にサラ(イ)と神の許しの中で、結ばれているのです。

アブラハムは、土地が与えられること&子孫繁栄を神の約束として確信しています。子孫繁栄には人同士の秩序ある結婚が伴います。動物の繁殖のように、雄と雌が本能のまま交尾して命が誕生するなら無秩序です。相手は誰でもいいと思って結婚する人が、どれだけいるでしょうか?神を信頼して祈りつつ、本日のテキストから、イサクの結婚相手も神が備えられているのです。イサクの子孫からイエス様が生まれて下さる御計画も揺らぎませんでした。神の誓いは真実です。

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