秘められた計画

2017年07月23日
川崎 献一師
ローマの信徒への手紙11:25~36

聖書は、難しい本でしょうか?特に日本人に解りにくいのは、生活の中に聖書的な背景がないからです。聖書というより、キリスト教文化なら受け入れ易いでしょう。クリスマスやイースターを日本風にアレンジして商売に役立てる才能なら、日本人は長けています。キリスト教文化で表面を取り繕っても、魂の救いには繋がりません。本日は、伝道礼拝です。今月の暗唱聖句が33節にあります。この書物を記した人はパウロです。パウロは、学歴豊かなユダヤ教のエリートでした。そのパウロも以前は、頑なな一部のイスラエル人だったのです。彼は、本日の箇所では異邦人に対して手紙を書いているのですが、ユダヤ民族以外の人が神の救いの対象になったのは本日のテーマ(25節)にある通りなのです。本日のテキストで「彼ら」と呼ばれているのはユダヤ人たち、「あなたがた」とは私達日本人も含まれる異邦人のことを指しています。  

まず神は、旧約時代にはユダヤ民族を先に選ばれました。これは神の主権です。この民族が素晴らしいからではありません。神に選ばれたこと自体に感謝して、神に従うなら素晴らしい神の民に変えられるのです。実に、最初の人類アダムとエバは、神の似姿として造られているのです。神に似ているという点では、他の動物たちと違い、人間は賢く出来ています。親子の関係でも、親が子どものために様々な準備をします。それは一方的です。成長過程の中で子どもに「どうして欲しい?」と子どもの意志を訊くこともあるでしょうが、子どもの考えが未熟であれば、親は子どものために最善な計画を立てようとします。勿論、神と違って絶対者ではないので失敗もするのが人間です。私も、牧師の子として生まれ育つ中で、後になって「そんな計画もあったんだ」と思わされることが何度もありました。父が福岡県の教会にいた時、私は1~5才でした。5才になって暫くしたら家族で引っ越すことなど知らされていなかったというか、その頃の記憶など殆どありません。只、福岡県から愛知県という距離の遠さは、後になって驚きました。幼児の私に知らせる必要もなく、親には転任の計画があったんだと単純に思いました。そして、信仰を持ってからは、それも神の御計画だったと悟りました。いくら人が計画を立てても、神の予定にないことは実現しません。

私達すべてが神に造られた存在でありながら、神がなさる方法に誰が文句を言えるでしょうか?人に対しては文句が言える場合もあり、パウロも人の罪に対しては、厳しく臨みました。でも、忘れてはいけないのが神の御言葉です。戒める時でも、相手への神の愛を基にします。これからの私達の歩みも、各々「秘められた計画」があることでしょうが、実現することを謙虚に受け止めましょう。実現しないことは妄想か、または同じ出来事でも「神の時」がまだ来ていないかです。それ以上に「秘められた計画」として既に実現した十字架と復活の御業に私達は、感謝して地上を仮住まいとして歩むのです。実現していない次の神の大きな御業は、主イエスが再び世に来られることに他なりません。 

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