具体的な祈り

2017年07月30日
川崎 献一師
創世記24:11~27

本日の僕(しもべ)の祈りは、結果的には聖書に記されているので公の祈りですが、この時は個人の祈りです。つまり、誰にも聴かれていない神と一対一の関係による祈りです。僕の主人アブラハムは、神に直接、声を掛けられる立場の預言者ですが、その特権が僕にはありません。それでも、アブラハムに倣って、祈る霊的な習慣はありました。只、現実的には僕には何の伝手(つて)もありません。主人の故郷からイサクの嫁になる人を捜せと命じられているだけです。非常に困っていたことでしょう。それで、僕は自分の本音も御存知の神に具体的に祈ってみたのです。本音で思っていることを祈れないのはおかしなことです。勿論、公の場であれば色んな人が聴いているので、言葉を選びます。厚かましい祈りは相応しくないという理性も働くので「公の徳が高まる祈り」を目指すべきでしょう。抽象的な表現で「最善に導いて下さい」と祈るクリスチャンもいます。神は最善しかなさらないという信仰に立った祈りです。でも、個人的な祈りには遠慮は無用です。なぜなら、全知全能の神が私達の本音を知らないことは有り得ません。罪深い本音も御存知です。「あの人だけは、どうしても赦せない」思いがあるなら、そのことも正直に祈り「敵と思える者をも赦せますように」という祈りにも導かれます。   

現代だったら、情報が溢れているので、前もって、カナン地方から主人の故郷へ連絡をとってイサクの嫁を公募することも出来るでしょう。只、それでは神の御心の女性が誰なのか分かりにくいものです。人間的な思惑が優先される危険性もあります。例えば、イサクの財産目当てで「お嫁になりたい」と自己推薦して応募するような人が現れてもおかしくありません。ネット社会の現代は、SNS(ブログやツイッター、フェイスブック等)全盛の時代です。情報発信も受信も自由自在です。 罪深い本音を公に表してみたいという誘惑にかられることもあります。一時的なストレス発散が墓穴(ぼけつ)を掘ることもあるでしょう。拡散されたら困る情報を慌てて削除するようにしても「時すでに遅し」で見しらぬ人にまで記録保存されてしまうこともある怖い時代です。プライベートな情報を敢えて公表する人もいれば、逆に個人情報が漏らされて被害を受けることもあります。

神秘性が軽んじられている現代ですが、聖書は、神秘性の極意を示しています。神の御心とは、元々は、罪人の私達には隠されたものですが、「何事でも早く知って安心したい」という欲求が人間にはあります。神の恵みは、人の自由をも認めます。便利な文明社会になっても存続が許されています。 この世は、祈りが枯渇しています。祈っても仕方がないと思っている人も多いのではないでしょうか?物質的な恵みをも神に感謝すべきですが、神抜きに人類の力、祈らなくても大丈夫という錯覚から傲慢な姿勢に堕落し、祈らない生活になってしまうのです。その祈りも真の神、つまり、新約時代の今ではアブラハムの子孫から生まれた主イエスの御名によって祈ってこそ、神は喜ばれます。御言葉と祈りを中心とする信仰生活の中で、密室では具体的な祈りを献げましょう。時間の経過と共に徐々に神の御心が明らかになることに期待する私達でありますように。

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