神癒の時

2016年06月19日
川崎 献一
マタイによる福音書4:23~25

四重の福音の中でも、一番需要があるのが、神癒でしょう。世の人は、新生、聖化を知らなくても生きていけると勘違いしますが、「病が癒されるなら」と御利益的に神を求めることもあります。聖書時代は、今とは比べものにならない程、医学は未発達でした。現代では、有名な病院や名医の存在がテレビ放送やネット情報で知れ渡ります。当時、主イエスは聖書の教えと新約の福音(グッドニュース)を伝えることが、癒し以上に大事だとわかっておられても、人が求める優先順位は癒しが先でしょう。

主は、病人の同情され、医者の働きをされたら、口コミで噂が広まりました。多くの人が「藁にも縋る思い」で主の下に集まったのです。

新共同訳聖書の小見出しには「おびただしい病人を癒す」とありますし、本日のテキストに限らず、福音書は癒しの記事が多くを占めています。ここから、主は人の必要に向き合われる方と学べます。

現代は肉体のみならず、鬱を始め、心の病の人が急増しています。クリスチャンでも牧師(私の知人でも10人以上はいる)であっても、人である以上は病になります。アレルギー患者も増えています。

肉体の治療なら病院、心の病は精神科医を訪ねるべきでしょうか?主は医者として世に来られました。体の癒しも行われましたが、目的は病んだ魂の癒しです。病んだ魂とは、神の前での罪のことです。

人類の罪の結果、病や怪我、最期には死もあるのです。全知全能の神に治せない病は皆無ですが、敢えて治されない病はあります。病と共存しながら、牧師を続けている人も少なくありません。病が完治するに越したことはありませんが、病を担いながらも、主に従う人は、聖霊の導きに委ねた人です。心の病の人の気持ちがわかるためには、同じ病のクリスチャンの働き、特に切実な祈りは尊いものです。完治がなくても、苦しみが和らぐ神癒を祈ります。

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