主の御意志

2017年08月013日
川崎 献一師
創世記24:50~67

私達クリスチャンにも人情はあります。人情とは、人の感情ということなので、本能中心に生きる他の動物とは明らかに違います。人情味があることは善い人と思われやすいですが、クリスチャンは聖書を信じています。聖書には、人情よりも大事な神の御心があることを示しています。一般的にも、人情だけでは社会は成り立たないと思っている人も多くいます。仕事のためには、人情も犠牲にすることがあるからです。公の仕事をしている時に私情が入ってしまうことは問題になります。特に、お金の使い道で公私混同と言えば、悪い意味で使われる言葉です。 

アブラハムの僕は、神に遣わされて主人の故郷ナホルの町に来ました。この旅自体が、神の御心です。そして、目的は主人の息子イサクの嫁探しです。祈りつつ、神の御心を探ってきた僕は、祈りが効かれたかのようにリベカとの出会いに感謝しています。只、相手の自由意志を重んじる僕は、慎重です。当時は、現代のように連絡手段を持たないため、急な訪問です。相手の思いを推し量れば、出会った若い美人の娘を簡単に連れて帰るわけにはいかないからです。そのため、丁寧な説明を僕はしています。それも主人アブラハムの神を証しする話をしました。先週の説教は、その場面で終わっています。この話を聞いて、私達ならどうするでしょうか?「いくら、丁寧に話してくれても、あまりにも急です。一族の者とはいえ、リベカを嫁にやるなんて無茶な話です。せめて、もう少し考える時間を下さい」とは、ならないでしょうか?でも、リベカの家族は違いました。本日のテーマを重んじました。

翌朝、僕は早速、帰ろうとしたら、ラバン達が人情に基づく発言をします。それは「10日ほどは、リベカの出発を遅らせてほしい」と言うのです。気持ちは分かります。ラバン達も最初は「主の御意志」を優先すべきとの姿勢だったのに、一晩考えて人情が大きくなりました。いずれは、リベカを嫁に出すことに変わりはないので、すぐ連れて行くこともないでしょうという話です。僕も「それは、ご最も」という感じで応じてくれたかというと違いました。もし、10日間、リベカを行かせることを遅らせたら、主の御意志が軽んじられる結果になったかも知れません。そうさせなかったのは、僕の律儀な態度とリベカの従順でした。ここにも神の導きがありました。人情と神の御心は、どちらが大事か?と聞かれ、人情と答えてしまう人は信仰を問われます。どちらも同じ位、大事と思いたいクリスチャンは多いかも知れません。実は、主の御意志に勝るものはありません。人情も神の御心に適ってこそ、尊いものです。

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