神の選び

2017年09月10日
川崎 献一師
創世記25:19~26

選ばれるということは、嬉しいことでしょうか?この世では、人が人や動物、また物品を選ぶことをします。選ぶ方が上の立場になるでしょう。聖書では、あくまでも神が選ぶ側で、人が選ばれる側になります。その真理の原則を知らない人々は、人が神を選ぶという的外れな姿勢になります。皆さんの中にも、数ある宗教の中で自分の意志でキリスト教に興味を持って選んで教会に来てみたという方は、見えますか?最初は、正直に「キリスト教を選んだ」という方がいても変ではありません。実は、そう思わせておいて後から本日のテーマへと導かれるのも、神の方法です。自我が砕かれる必要があります。神は唯一の方なので、多く神がある中から神を選ぶ発想はナンセンスです。でも、その真理を知らない人達への神の寛容さは素晴らしい。人の自由意志の尊重です。また「自分が好む神」という考え自体が、いかに傲慢か信仰を持ったら解ります。 

命の誕生は、神秘的です。親が子どもを作ると言ってしまう人もいますが、正確には母親のお腹が用いられて神が子どもを造られたのです。それまで存在しなかった人の命を造られるとは、何という神の力でしょう。毎日、必ず誰かが産まれ、誰かが死んでいるのです。今日は、そんなことがなかったという日は有り得ません。身近にはなくても、世界では毎日起きています。これを自然の摂理と言う人もいますが、神の御業なのです。人の意志ではありません。リベカの出産前の御言葉は、将来の国民に関わることです。よくクリスチャンホームの人で「私は母の胎内にいる時から、礼拝に出ていました」と言う人がいます。母親がクリスチャンで、妊娠中も日曜日は教会へ熱心に行っていた人の子どもとして、その母の信仰を継承する証しが立てられています。本日の母・リベカが生まれてくる息子たちに妊娠中大変だったことを伝えていたかは分かりません。只、この2人は、母の胎内にいる時から争っていて、生まれて成長してからも、仲たがいすることが預言されています。この2人の個人的関係から始まりますが、将来はズバリ、エドム人とイスラエル人という民族に分かれるのです。イスラエルと呼ばれるのは弟の方です。実に本日のテーマは、神の主権によって定められていたのです。同じ母から生まれたのにと思うでしょうが、私達は同じに神に造られているのです。この神以外に造られた人間は存在しません。グローバル化が進む現代、国が違い、育った環境、文化、そして信じる宗教が違っても同じ人間ではないかというヒューマニズムから人類への愛を説く人々もいます。多くの宗教を認め合い、世界中に多くの神があってもいいという考えさえありますが、真理は違います。どんな人でも同じ唯一の神に造られ愛されているのです。キリスト教らしい言い方としては、どんな人でもイエス様の父なる神に造られているのです。

エサウとヤコブを造られたのも勿論、神です。その神がヤコブを選んでおられました。後にヤコブも何度も脱線しますが、神の選びは絶対です。多くの試練を受けて、神に選ばれた者としてヤコブは相応しく整えられます。旧約的には、選ばれていない異邦人(ユダヤ人以外)の私達もイエスを信じること一点で、神に選ばれていたと言えます。教会に行って、洗礼を受けて神の選びに感謝する人生を歩みましょう。

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