神の啓示

2017年10月22日
川崎 献一師
創世記27:1~17

「神」という漢字は「示す偏」から成っています。神道の「神」を連想する人も多いでしょう。一神教に限らず、「示す偏」は宗教的な意味が多くあります。他に「社」「祝」「福」「祈」「祷」等あります。私達が信じている神は、キリストの父なる神です。その神は、他宗教を信じている人々をも造られ、今も支配されている神です。人が様々な計画を立てても、神の御計画のみ実現します。リベカは、ヤコブの未来を神から啓示されていたのです。 

死期が近いと悟ったイサクがエサウを祝福したのは、自分好みのエサウが長子に生まれた事実への拘りでしょう。もし、イサクにも直接、神の啓示があったら、啓示通りヤコブへ祝福を与えたことでしょう。何故、妻だけに啓示があったのか?子どもを身籠って産むのはリベカ本人だからか?神の御心を思い巡らすことを黙想とも言います。イサクとエサウの会話をリベカに聴かせておられることにも神の意図があります。ヤコブが祝福されるための母の入れ知恵は盲人のイサクを騙すことですが、リベカは「美味しい料理を作ってあげれば、父にヤコブは祝福される」と言っています。しかし、ヤコブは母の言葉を実行に移す立場です。料理を持って行っただけでヤコブのままで祝福されるとは思えません。実は、盲人の父に対してエサウに成りすまして騙すことを母は暗に勧めています。これは「視覚障害者への冒涜だ」と怒った人も出るぐらいの罪です。ヤコブは祝福の反対の呪いを受けることを気にしています。ちなみに「祝」に対し「呪い」という漢字は、口偏に兄と書きます。示す偏が取られて、口偏にすると、呪いという言葉が生まれるということは、人類最初の殺人者・カインを連想します。カインは弟アベルを殺した後に、神に問われました。その時、嘘をついたため神に「呪われた者となった」と宣告されたのです。ヤコブは母に父を騙すことを勧められました。13節のリベカの言葉は、不正な手段がバレた時には責任は私が取るという意味です。これは例え不正な方法であっても「神の啓示」が実現するためというリベカの信仰なのか?または、この提言に自信がないヤコブの言葉に「もし失敗したら、私が呪われます」と愛息子ヤコブを庇う母の愛ゆえの悲壮な決意も伴います。

13節は、新約時代のイエス様の十字架の御業に繋がる聖句です。呪われることは共通していますが、イエス様はリベカとヤコブのような不正な手段は取っておられません。逆に、不正な裁判の結果を「神の啓示」として受け入れられました。イエス様にとっては、直接の父なる神の御心です。全人類の罪を引き受けて死なれたわけです。ヤコブにとっても、同じ親(父ではなく母)からの「神の啓示」を信じて行動に出ようというのです。本日の最後のヤコブは、母リベカがするままに受け身です。この母は、ヤコブが失敗した場合は、母が代わりに呪われる覚悟です。人間的には「リベカの計略」ですが、信仰的には「神の啓示」に従って策略が進むわけです。

リベカには妊娠中に神からの啓示があって、その御言葉のみを根拠としてヤコブが祝されるべきと信じていたのです。ヤコブは、母の言いなりになったものの、祝福を得るためには手段を選びませんでした。「バレなければいい」という考えは、ヤコブのみならず私達罪人は、その誘惑に負けやすいのではないでしょうか?ヤコブのように打算的な者をも神は選ばれ愛されていますが、試練の人生も待っています。  クリスチャンの私達は主イエスの御名によって神に選ばれています。それも御言葉から「神の啓示」として与えられている人は幸いです。その愛を知るために、このメッセージを読んだ未信者の方々も教会へ行ってみましょう!「あなたも神に選ばれ、愛されている」ことを信じて下さい。

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