祝福の香り

2017年11月12日
川崎 献一師
創世記27:18~29

祝福というのは、最高の賜物です。日本では神社などで「七五三」を行って子どもの成長を願う人々が多いですが、教会では同じ時期に合わせて子ども祝福式を行います。先週の木曜日には幼稚園の祝福式も、この礼拝堂で行いました。子どもの成長を願うことは共通していますが、何よりも真の神からの祝福ということを明確にして、イエス様との出会いを教会では祈り願っていきます。本日のテキストは、子どもにも分かりやすい内容です。紙芝居にもあります。そして、新共同訳聖書の小見出しから「祝福を騙し取っていいのか」また「騙し取れるものなのか」という疑問も持ちます。でも、結果的にヤコブは、父イサクから祝福を受けるのです。 

ヤコブとエサウの双子の物語、ヤコブの立場になったらドキドキする本日の箇所です。ヤコブは母リベカの指示で、いよいよ父イサクを騙す場面です。「私のお父さん」と話しかける声は緊張しているでしょうか?イサクにとっては息子は2人いるわけですが、盲人のため見えません。それで「誰だ、お前は?」と訊きます。ヤコブは嘘をつきました。イサクは、疑問を持ちます。エサウが狩りから帰ってくるには、早すぎます。ヤコブは、信仰的な言葉を使います。父が信じている神の御名を用いています。信仰継承は父にとって嬉しいことですが、よっぽど目が見えず、まだ疑っているため触れ合うことを求めます。父は、自分の感覚に頼り、安心したいのです。この時のヤコブは、どんな気持ちでしょうか? 皆さんは、嘘をついたことはありますか?子どもの頃は、下手な嘘をついて簡単にバレてしまうこともあります。その時に妙な反省をすることがあります。「嘘が下手だった。もっと賢い嘘をつくべきだった」と。これは、道徳的な反省ではなく、手段の失敗を認めて悔やんでいるのです。このヤコブの嘘は、盲人の父を侮っています。そして、こんな方法で騙される父にも呆れてしまう人もいるでしょう。この双子の兄弟は外見も性格も対照的だったのですが、声は似ていたかも知れません。それでも、イサクはヤコブの声だと疑います。ヤコブは焦ったでしょうが、肝心な祝福を受けるためには引き下がれません。エサウのように毛深いヤコブの腕は子ヤギの毛皮を巻きつけただけです。母リベカの知恵でした。それでも、見破れなかったイサクとは逆に、もし母リベカだったら例え盲人であっても女の勘で見破れただろうと言う人もいます。声に違和感を持つ父は一応、確めます。ヤコブは、この流れに自信を持ってきたのか嘘をつき通します。内心は焦っても演技力によって、人生最大の目標である神からの祝福のためには手段を選びません。しかし、これは新約時代の私達は、キリストの香りを漂わせるように導かれています。香りというのもは、目には見えませんが存在感を表わします。人の罪のために十字架に献げられたキリストの愛を香りに例えたのです。ヤコブは、本日のテキストで確かにイサクから祝福の祈りの言葉を聞きました。祝福は、誰にでも与えられるものではなく、神に選ばれた者のみの特権です。人情としては「エサウもヤコブも両方、選んで祝福すればいい」と思う人がいるでしょうか?ヤコブが、神に選ばれていることは絶対ですが、父を騙した方法は罪なので、神から多くの試練を受けます。全ての人に罪がありますが、個人によって試練の内容には違いがあります。全く、試練を受けない人はいません。順調に生きたと言える人でも、最期には死ぬという試練が待っています。そして、罪がないのに試練を受けたイエス様の十字架の御業を仰ぎましょう。このイエス様の福音を信じた人が、神に選ばれ祝福をも受けているのです。本日のテキストに繋がる言い方をするなら、エサウではなくヤコブの子孫から生まれたイエス様を信じる人に、祝福は継承されます。その救い主・イエスの体なる教会へ行ってみましょう!

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