神のパン種

2019年01月13日
川崎 献一師
マルコによる福音書8:11~21

聖書当時の人々は、信じる前に「しるし」を求めました。言い換えれば奇跡です。実は先週の箇所では、神の奇跡を学びました。それは本日の20節にもイエス様が触れられています。奇跡は、解りやすい神の御業でしょう。ファリサイ派は「奇跡を見せてくれたら信じてやろう」という傲慢な姿勢です。イエス様は、必要に応じて奇跡をなさいましたが、奇跡信仰の限界を悟らせようとも思われています。奇跡とは、目立つもので人々を魅了します。当時の人々のみならず、現代人も奇跡には憧れますから、求めている人々は多いでしょう。

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感謝の祈り

2019年01月06日
川崎 献一師
マルコによる福音書8:1~10

教会よりも初詣のために神社に行く日本人の方が圧倒的に多いでしょう。人数が多いから真理だとは聖書は教えません。的外れに、存在しない神(偶像)に祈願に行く人達をも神は漏れなく造られました。日本人が聖書の神を中々、信じない現実に対し、神は日本人への伝道を苦手にしておられるのでしょうか?まさか、全知全能の神に苦手なものは有り得ません。只、日本人の神に対する頑なな姿勢をも自由意志として重んじて様子を見ておられるのでしょう。

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エッファタ

2018年12月30日
川崎 献一師
マルコによる福音書7:31~37

本日のテーマは、口語訳聖書では「エパタ」と訳されています。「エッファタ」とはアラム語で「開け」という意味、更に「解放されよ」という意味深な言葉です。当時の病気や障害者は、悪霊に縛られていると思われ、悪霊からの解放が望まれていました。イエス様は、数々の癒しの御業をなさってきましたが、患者の体に手を置くだけ、中にはイエス様の服の裾に触れるだけでも病気が治るということもありました。その噂を聞いて、今回もイエス様の手当てを願った人々に対し、少し時間をかけます。穿った見方をすると、手を置いただけで癒せるイエス様が「勿体ぶった方法」で癒しをなさるようにも見えます。耳と舌に二重の障害がある人に対し、イエス様は憐まれました。この人が、今までの生活でどんなに苦しんできたか、そしてイエス様以外に頼る人はいないという信仰は私達も見倣うべきことです。

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救いの神様

2018年12月23日
川崎 献一師
ルカによる福音書2:8~20

本日は、毎週9時からの教会学校はなくて、10時半からのクリスマス合同礼拝でした。子どもと大人が共にイエス様の御降誕をお祝いしました。

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聖なる契約

2018年12月16日
川崎 献一師
ルカによる福音書1:67~80

本日のテーマは、72節の後半に書かれていますが、広い意味では聖書そのものを指しています。聖書は、神と人類の契約の書です。神は聖なる方です。この「聖」という言葉を私達人類は、どう捉えているでしょう?クリスチャンは「聖」という言葉を聞く機会が多いでしょうが、一般人でも神道の禊や清めなど、心の汚れを取り除く儀式を行います。また「聖子」という名の女性もいます。子どもたちには「心が清い人」と言っても分かりにくいので「心が綺麗な人」と話したりもします。人は無意識にも「聖なるものへの憧れ」があるようです。

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