「キリストの住まい」ヨハネによる福音書10章22-30節

2020年9月27日
担任教師 武石晃正

 「神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ」と日本基督教団信仰告白では救いについて述べています。プロテスタント教会として伝統的に継承しています使徒信条において、全能の神の独り子である主イエス・キリストを信じると告白しています。
 また、「我らの主、イエス・キリスト」は「天に昇り、全能の父なる神の右に坐し」ておられるということです。聖書に基づく告白ですから真理ではありますが、果たして私たちの主は天に昇られて遠く離れたところから眺めておられる方なのでしょうか。
 ヨハネによる福音書から「キリストの住まい」と題して、私たちの主がどこにおられて働かれるのか考えて参りましょう。

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「魂の牧者」ヨハネによる福音書10章1-6節

2020年9月20日
担任教師 武石晃正

 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩23:1)
 聖書の中で最も愛され、最も多くの人々を励ました箇所の一つではないでしょうか。翻訳や理解の違いはあるとしても、キリスト教会ばかりでなくユダヤ教の人々も同じ詩編を持っています。信者さんでなくとも、ポストカードに添えられていたり、映画などの劇中で引用されたりと、何かの折に触れたことがあるという方も少なくないかもしれません。
 本日は詩編23編ではなくヨハネによる福音書より、「魂の牧者」とは私たちにとってどのような存在であるのかをご一緒に考えてまいりましょう。

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「神に属する者」ヨハネによる福音書8章37-47節

2020年9月13日
担任教師 武石晃正

 教会に通い始めて数年が経ち、高校生になってから洗礼を受けました。今から30年ほど前のことです。周りの友だちはもっていない何か特別なご褒美のようなものを神様からいただいたようで、とても嬉しかったことを覚えています。また教会の大人の人たちからも「よく決心したね」「おめでとう」と褒められたり祝っていただいたりしましたので、どこか誇らしい気持ちにもなりました。

 残念なことに、その喜びと希望だけの高揚感は長くは続きませんでした。クリスチャンとして正しくきよい生き方をしたいという思いはあるのですが、若さやわがままさのゆえにそれが一向に叶わないという現実が目の前にありました。この隔たりがあまりにも大きいので、本当に自分は救われているのか、神の子としていただいたのだろうかという不安感がいつも伴っていました。
 その不安感を覆い隠すように、日曜日はたとえ模擬試験などがあったとしても、礼拝には休まず出席しました。その一方で、救われているのだから何をやっても神様は赦してくださるはずだ、と平日には羽目を外すことが多々あった学生生活を送っていたことを思い出します。なんと不安定でアンバランスな信仰生活だったことでしょう。

 自分自身の力ではどうすることもできない罪の問題があるので、イエス様がわざわざ十字架にかかって私を救ってくださったのです。本来であれば救いの恵みをいただいて、きよめの恵みに与ることで、キリスト者の完全と呼ばれる全ききよめを体験できたはずなのです。そのことを十分に理解できず、自力で立派にやろうとしたために、随分と遠回りをしてしまいました。なんとももったいないことをしたものです。
 このような勘違い、思い違いをしていたのは私だけではなかったようです。実は新約聖書が書かれた時代から既に起こっていたことなのです。神様はこのようは思い違いをする者が絶えないことをご存じで、あらかじめ福音書の中で取り扱ってくださいました。

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「聖霊に従う生き方」ヨハネによる福音書8章3-11節

2020年8月30日
担任教師 武石晃正

 「キリスト教」ってなぁに?と幼い子どもに聞かれたとして、皆さんは何と答えますか。本当に小さなお子さんであればキリスト教という言葉自体も知らないかと思われますので、小学生や中学生としましょうか。
 辞書を引いてそこに示されている定義を告げることもできるでしょうけれど、それはあくまでも文字の上での意味に過ぎません。私たちが信じているキリスト教というものを言い当ててはいないかも知れません。正確ではなくとも自分の言葉で言い表すことはできますでしょうか。

 ある方は「イエス・キリストを神と信じ、その教えに従うこと」だと答えるかもしれませんし、別の方は「キリストという概念を中心に体系立てられた、聖書に基づく生き方を教えること」と考えるかもしれません。キリストを神と信じ心から愛するのか、聖書の言葉を格言としキリストを道徳的な理想像として掲げるのか、いずれも「キリスト教」の一面ではありますが受け止め方が随分と違うような気がいたします。
 同じ聖書の言葉を取り上げたとしても、それによって人を生かすも殺すも用い方ひとつにかかってくるわけです。「文字は殺しますが、霊は生かします」(第二コリント3:6)との使徒パウロの言葉を念頭に置きながら、ヨハネによる福音書を読み進めたいと思います。

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「神からの真理」ヨハネによる福音書7章40-52節

2020年8月23日
担任教師 武石晃正

 先ほど教会学校の生徒さんから聞いたのですが、まだ8月の半ばというのに今年はもう夏休みが終わってしまったそうです。あまりにも短くて、気の毒なようで申し訳ないような思いがいたします。同時にコロナ禍の影響とは申しましても、日本の教育水準の高さに改めて驚きを覚えます。
 学生時代に教員を目指した中で、教育基本法というものに触れました。先日たまたま文科省のホームページを開いたところ、その前文に「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び」と掲げられているのを見つけました。また、第二条では教育の目標としてその一部に「真理を求める態度を養い」と定められています。この国は戦後の改正から70年余りもの年月をかけて、真理を求め続けてきたことになるわけです。
果たしてその真理とは何でしょうか、皆さんはどのような真理を学んでこられましたか。本日は日本国の教育ではなく、神の国の真理について聖書のことばから考えて参りましょう。


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