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「試練に遭われた神」マタイによる福音書4章1-11節

2024年2月18日
牧師 武石晃正

 2月も半ばを迎えまして、お日和は三寒四温という言葉がぴたりと当てはまる頃合いです。教会暦では先週の水曜日が「灰の水曜日」にあたりまして、四旬節やレントとも呼ばれる受難節に入りました。
 創造主である神が自ら人として世にお生まれになり、私たちと同じように肉体を取って歩まれました。罪のない方が罪人として数えられたばかりか、キリストを妬む者たちは訴える口実を得ようとしたり命を付け狙ったりしたのです。

 受難週と申しますとイエス様が十字架に架かられる直前の1週間をさしますが、受難節はイエス様が地上において私たちのために受けられた様々な苦しみを覚えます。本日はマタイによる福音書を中心に「試練に遭われた神」と題して主の受難を覚えましょう。

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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

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「無駄にならないように」ヨハネによる福音書6章1-15節

2024年2月11日
牧師 武石晃正

 クリスマスから始まる教会暦は降誕節第7主日を迎えました。降誕節の期間はイエス・キリストのお生まれから公生涯に至るまでを覚え、神である方が人となってこの世を歩んでくださった恵みを味わいます。
 子どもの頃を振り返りますと教会のクリスマスでケーキやプレゼントをもらって嬉しかったことを思い出します。しかしその次に覚えているのがイースター、降誕の後は間を飛ばして十字架と復活が来るのですからまるでキセルのようです。

 煙に巻かれたような信仰にならないためにも降誕節と受難節にイエス様の足取りをしっかりと辿りたいものです。本日もヨハネによる福音書を開き、「無駄にならないように」と題して主と弟子たちの姿を思い巡らせましょう。


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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

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「良くなりたいか」ヨハネによる福音書5章1-18節

2024年2月4日
牧師 武石晃正

 先週火曜日に敬愛する兄弟が前触れなく主の御許へ召されました。あまりにも突然のことであり、ご家族の悲しみと失意はもちろんのこと教会にも大きく穴が開いたようです。
 魂は既に主の御腕のうちにあると確信をしても、愛する家族また信仰の友に会うことができない寂しさは残ります。世の中では人は生まれたのだから死ぬのは当然のことだと言う方もおられるのかも知れませんが、果たして本当でしょうか。

 人は罪の中に生まれたので罪のために死ぬのであって、天地創造のみわざにおいて神様は人を死ぬようには創られなかったのです。それでも聖書は「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレト3:1)とも「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えて」(詩編90:10)と地上の生涯に終わりがあることを明らかにします。
 キリストが世におられた時代にも多くの人が生まれては死んだわけですが、主は愛する友ラザロの死に際して墓の前で涙を流されました(ヨハネ11:35)。自ら人となり死の苦しみを味わわれた神が私たちの救い主であることに慰めを覚えます。

 弱さに同情してくださる神が自ら人と共にいてくださいます。本日は「良くなりたいか」と題してヨハネによる福音書から思いめぐらせましょう。


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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

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ヨハネによる福音書8章21-38節「真理を知っている人」

2024年1月28日
牧師 武石晃正

 年明けから大きな災害や事故の情報が絶えず報道されております。対岸の火事では済まされないことでありますが、直接に何か手助けができるものでもなく歯がゆいばかりです。
 普段の生活ではあまり使われないかと思われますが、災害や事故に際して「安全神話」という言葉が論じられることがございます。父子聖霊なる唯一の神を信じる者としては神話という語に抵抗を感じますが、「比喩的に、根拠もないのに、絶対的なものとして信じられている事柄」(「広辞苑」第七版、岩波書店)という点に関しては否めないものです。

 被災された方々や困難の中に置かれている方々に主の御腕が伸ばされることを願い祈ります。その傍らで私たちが信頼を置いているのはどなたであるのか、キリストを信じる信仰とはいかなるものかと問われるような思いがいたします。
 本日はヨハネによる福音書を開き「真理を知っている人」と題して取り扱って参りましょう。

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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

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「最初のしるし」ヨハネによる福音書2章1-12節

2024年1月21日
牧師 武石晃正

 毎年この季節になりますと宇都宮界隈にも冬の渡り鳥が見られます。水辺にはハクチョウやカモの類が浮かんでおり、夕暮れには群れるカラスの目を避けるように身を低くして飛ぶ影が空を横切ります。
 教会の敷地の中にはジョウビタキという小鳥がしばしばやって来ます。牧師館の前で薪を割っておりますと、薪の中に潜んでいる虫を目当てにして軒やフェンスの上を行ったり来たりするのです。

 時には庇(ひさし)の上で待ち受けて、「カッ、カッ」と鳴きながら薪割りを催促することもあります。待たれていたのなら仕方ありませんので、予定になくとも1本2本と薪を割ってみせています。
 「空の鳥をよく見なさい」(マタイ6:26)と仰った方はご自身の計画のうちに時を定めておられますが、求める者には良い物をくださるのです(マタイ7:11)。本日はヨハネによる福音書を開き、「最初のしるし」と題して思いめぐらせて参りましょう。

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(引用は「聖書 新共同訳」を使用)

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