割礼と洗礼
日本人にとって、聖書は難しい書物でしょう。その理由の一つに元々の日本人にはない習慣のことが聖書には、よく書かれています。その一つが割礼です。割礼は、旧約時代には欠かせない儀式ですが、これは聖書が源というより、古代の中東地方では一般的な習慣でした。多くの国々で結婚する前に、グロテスクな話ですが、男性の急所の包皮にメスを入れていました。その割礼を神が「信仰のしるし」としてアブラハムに命じられたのです。まだ、アブラムという名前の時代に神は、彼に現れました。聖書には勿論、神のことがよく書かれているので、頻繁に現れる神という印象もありますが、よく読むと、かなり時間が経って現れることが多いのです。普段は見えない神は沈黙されています。いつ現れるかは、人には知らされていません。忘れた頃に現れる神でもあります。