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天を見つめて

2017年05月28日
川崎 献一師
使徒言行録1:6~11

世間では、知られていないキリスト教専門用語は多くあります。使徒という言葉は「派遣された者」という意味ですが、一般的には使いません。それまでは、世でも解かりやすい「弟子たち」と呼ばれていた者が使徒たちと呼ばれるのです。「使徒」より、もっと聖書の中心的な言葉「福音、贖罪、聖霊」等は難しい言葉でしょう。また、「伝道」という言葉より、「布教」という言葉の方が世では浸透しています。  

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焼き尽くす献げ物

2017年05月21日
川崎 献一師
創世記22:1~19

神と共に歩んできたアブラハムですが、それはいつも100%アブラハムが神に従い通したという意味ではありません。アブラハムも人間です。失敗も一度や二度ではないでしょう。それでもアブラハムは、軌道修正して神に立ち返って信仰生活も晩年を迎えています。このまま無事に暮らしたいアブラハムに人生最大の試練が待っていました。それが本日のテーマです。私達は「献げ物」をする場合、献金を連想する人も多いでしょうが、礼拝も賛美も祈りも奉仕も神への献げ物です。只、献げ物の前に「焼き尽くす」という厳しい言葉があります。これは旧約時代、羊や牛、鳥など動物を焼き殺して神に献げるという行為です。この動物の代わりに神はアブラハムの独り子イサクを指名なさいました。100才の時、与えられた掛け替えのない子です。神はアブラハムがどんなにイサクを愛していたか御存知でした。神はアブラハムの信仰を試しておられました。いくら溺愛している子どもであっても、まさか神より大事ということはあるまいと思われる神なのです。 

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友好的な態度

2017年05月14日
川崎 献一師
創世記21:22~34

国籍が天にあるクリスチャンは、そのゴールに辿り着く前に、この世ですべきことがあります。それは、神が共におられることを証しすることです。クリスチャンの日々の生活から地道であっても「この人を見ていると、神が共におられるからとしか思えない」という印象は神を証しします。人は、周りの多くの人からの影響を受けます。特に成長過程の子どもや若者は感受性が豊かなので、誰から影響を受けているかは大事です。育児をしている親や教育の仕事に就いている現場の先生達には責任もあります。クリスチャンが目標とする人物は、勿論イエス様です。この俗世間でイエス様に似た人となれば、聖なるイエス様から影響を受けていることになります。教会で、よく使う表現としては、神の御言葉に従っていることになります。 

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天からの声

2017年05月07日
川崎 献一師
創世記21:9~21

「天からの声」に対し、地上では現代でも跡継ぎ問題があります。3代続いている北朝鮮の独裁政治。諸外国は、核開発の脅威から、中々解放されません。日本では、象徴・天皇家が世襲制です。最近、特例として生前退位が認められましたが、血族以外の皇位継承はありません。お寺の住職などは多くが世襲制です。牧師の子が牧師になることも珍しくはありませんが、親が牧会している教会の後を必ずしも受け継ぐわけではありません。信仰継承や同じ献身者として牧師の道を歩むことはあっても、遣わされる教会が違うことはよくあるので、いわゆる世襲制ではないでしょう。聖書でも血統は重んじますが、神はこの伝統を覆すことも出来ます。実はどんな人でも、人類の祖・アダムとエバの子孫です。子孫繫栄の歴史の中で、その真理を見失い狭い民族意識に囚われています。アブラハムは、妻サラも女奴隷の子イシュマエルも愛しています。サラにとっては、自分の息子が奴隷の子に揶揄われるなど屈辱でした。アブラハムとしては、5人家族で仲良く暮らしたいところ、天から声が聴こえました。それは、意外な内容でした。神が和解へと導かれるというのではなく、生き別れて夫々の人生の道を与えられたのです。 

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