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再臨待望

2017年06月25日
川崎 献一師
ヨハネの黙示録22:6~13

今から75年前、1942年6月26日、特にホーリネス派の教会は、国家から酷い弾圧を受けました。当時は、信教の自由などなく、現人神・天皇を拝むことが強制されていました。最近、慎重な議論を重ねた上、特例としての天皇の生前退位が認められました。象徴・天皇であり、既に人間宣言もされています。確かに天皇であっても人間なので当然です。それまでの天皇の神格化こそ、異常な思想だったわけで、今でも北朝鮮は、その洗脳政治が続いています。 

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神癒体験

2017年06月18日
川崎 献一師

癒(いや)しは、世間でも聞く言葉です。赤ちゃんやペットを見て「心が癒される」という人も多くいます。マッサージを受けると体が癒されます。癒しは、世の人からの需要があるのです。需要を供給するという意味では、イエス様は宣教活動の中で医者としての働きも多くされました。このルカによる福音書の小見出しだけでも「いやす」という言葉が9回もあります。今日の箇所は、2つ目の癒しの出来事です。それも「多くの病人を癒す」と病名もなく抽象的な書かれ方です。イエス様は、人の病の癒しに出かけられました。後に12弟子の代表になるシモン・ペトロの家に行かれたことにも意図がありました。まだ、ペトロと名付けられる前のシモンは、ありふれた名前でした。そのシモンの妻の母が高熱で苦しんでいるという症状が記されています。 

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聖化体験

2017年06月11日
川崎 献一師
ヘブライ人への手紙12:14~17

先週の新生体験は、第2の誕生日です。クリスチャンとして大事な通過点です。これを第1の誕生日である人生に例えるなら、この世に生まれてきたこと自体に意味があるという話ですが、もし生まれただけで満足なら、人は成長しなくてもいいのでしょうか?勿論、成長できない病の人や障害者の方は例外です。例外といえば、死ぬ直前に主イエスを信じて新生体験をして、そのまま召天ということもあるでしょう。私達は若くても高齢であっても、聖なる生活を命じられています。新生体験をした人は、イエス様によって罪が赦されています。そのイエス様が「私の十字架での死が、あなたのためにあったことを信じるなら、あなたの罪は赦されて魂も救われた。公に言い表して洗礼を受けよう。あとは、あなたの自由だ。自分勝手に生きよ。罪を犯しても、その罪も赦されているんだから。感謝しなさい」と言われたでしょうか?前半の赦しと救いと洗礼のくだりは正しいです。でも、罪を犯してもいいは間違っています。御言葉を都合よく解釈する人もいます。残念な現実ですが、罪を犯したくないのに、罪を犯してしまうから罪人です。消極的には「罪を犯さないようにする」姿勢も大事ですが、聖化とは積極的な信仰姿勢です。聖化とは、誰のようになればいいか?答えは簡単です。イエス様のようになることです。イエス様が、どんな方だったかとは福音書にあるイエス様の公生涯に、11節にある聖なる生活の模範があります。また、すべての人との平和とありますが、私達は家族や好きな人のみを愛していないか?また、利害関係にある場合は、自分が損をしたくないために、建前を使い平和を装って、人間関係を守っているだけではないか?と問われます。 

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新生体験

2017年06月04日
川崎 献一師
使徒言行録2:37~42

日本では、クリスマスに続いて、イースタ―も有名になってきました。ちなみに、近年では秋のハローウィンも行事として騒がれますが、これは2月のバレンタインデーと同じ類でしょう。聖書的には意味を見いだせないので、キリスト教国の文化による産物でしょう。イースターの後、50日が経ち、ペンテコステを迎えましたが、日本人には馴染みが薄い教会暦です。子どもにも解かる言い方としては、世界で最初の教会の誕生記念日ですが、教会の建物が次々と出来たわけではありません。教会と言えば、十字架が掲げられた建物を連想しますが、イエスをキリストとして信じる群が誕生したのです。 

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