具体的な祈り
本日の僕(しもべ)の祈りは、結果的には聖書に記されているので公の祈りですが、この時は個人の祈りです。つまり、誰にも聴かれていない神と一対一の関係による祈りです。僕の主人アブラハムは、神に直接、声を掛けられる立場の預言者ですが、その特権が僕にはありません。それでも、アブラハムに倣って、祈る霊的な習慣はありました。只、現実的には僕には何の伝手(つて)もありません。主人の故郷からイサクの嫁になる人を捜せと命じられているだけです。非常に困っていたことでしょう。それで、僕は自分の本音も御存知の神に具体的に祈ってみたのです。本音で思っていることを祈れないのはおかしなことです。勿論、公の場であれば色んな人が聴いているので、言葉を選びます。厚かましい祈りは相応しくないという理性も働くので「公の徳が高まる祈り」を目指すべきでしょう。抽象的な表現で「最善に導いて下さい」と祈るクリスチャンもいます。神は最善しかなさらないという信仰に立った祈りです。でも、個人的な祈りには遠慮は無用です。なぜなら、全知全能の神が私達の本音を知らないことは有り得ません。罪深い本音も御存知です。「あの人だけは、どうしても赦せない」思いがあるなら、そのことも正直に祈り「敵と思える者をも赦せますように」という祈りにも導かれます。