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特権

2017年09月24日
川崎 献一師
創世記25:27~34

 本日のテキストには、対照的な双子エサウとヤコブが登場します。古代社会で神が直接、造られた自然の中で伸び伸びと育ったことでしょう。現代日本のような学校などの教育機関もなく、人工的な遊び場もありません。便利な物がなくても、太陽、水、空気、食物、住む場所、衣類があれば人は生きていけるのです。そして、それらを必要な物として与えられる神の御心を行う信仰があれば、一番です。逆に現代人は、便利な生活に慣れているため、質素な世界には不満を持つでしょう。

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命の冠

2017年09月17日
川崎 献一師
ヤコブの手紙1:12~18

聖書は、神が与えて下さった命(賜物)ということを大前提としています。最初の12節が今月の上町教会の暗唱聖句です。その中の「命の冠」をテーマとしたのは、敬老感謝礼拝にも相応しいからです。長寿は、旧約時代からの神からの祝福です。アブラハム(75才)やモーセ(80才)が現代で言う後期高齢者になってから、神からの召命を受けたことは特筆すべきことでしょう。若い頃のようには体が動かなくても、神が共におられたら、前進できます。活力も健康も神からの賜物です。そして、長寿も神からの祝福の賜物ですが、絶対的な祝福ではありません。何故なら、長寿に行き着くまでに死んだ人は、祝福されていないとは言えないからです。それを人間的にも実証されたのがイエス様です。享年33才、まだまだキリスト教を伝えるために働いてほしかった矢先の死でした。そこには神の御心があり、イエス様の宣教は約3年間で充分だったのです。後は、イエス様の弟子達に宅されます。イエス様ご自身は、復活の命を現して、弟子達が見ている前で昇天されました。つまり、新約時代はイエス様に繋がっている人こそ、神から祝福されているのです。 

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神の選び

2017年09月10日
川崎 献一師
創世記25:19~26

選ばれるということは、嬉しいことでしょうか?この世では、人が人や動物、また物品を選ぶことをします。選ぶ方が上の立場になるでしょう。聖書では、あくまでも神が選ぶ側で、人が選ばれる側になります。その真理の原則を知らない人々は、人が神を選ぶという的外れな姿勢になります。皆さんの中にも、数ある宗教の中で自分の意志でキリスト教に興味を持って選んで教会に来てみたという方は、見えますか?最初は、正直に「キリスト教を選んだ」という方がいても変ではありません。実は、そう思わせておいて後から本日のテーマへと導かれるのも、神の方法です。自我が砕かれる必要があります。神は唯一の方なので、多く神がある中から神を選ぶ発想はナンセンスです。でも、その真理を知らない人達への神の寛容さは素晴らしい。人の自由意志の尊重です。また「自分が好む神」という考え自体が、いかに傲慢か信仰を持ったら解ります。 

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異邦人への御計画

2017年09月03日
川崎 献一師
創世記25:12~18

人の目には大事とは思えなくても神の目からは大事な箇所が聖書には幾つもあります。と言うよりも、聖書は神の言葉なので、どうでもいい箇所は全くありません。聖書は系図を重んじます。出来事としては歴史ですが、人名が記されているという意味では、系図に記されている一人一人の魂とも言うべき名前です。そして、聖書は男性中心の目線のため、女性よりも男性の名前が圧倒的に多く記されています。 このテキストに当たった礼拝の日に教会では聖餐式があることも偶然ではなく、神の計らいでしょう。聖餐式は、本日のテーマに繋がるからです。つまり、旧約時代から見たら異邦人の私達が神の民とされたのは、イエス様の十字架による贖罪のおかげだからです。旧約時代は、イサクの子孫(更に、その次男のヤコブの子孫)以外は異邦人です。ユダヤ人こそ神の民という意識は、根強いものがあります。単なる仲間意識ではなく、他の民族とは違うという神の選民としての誇りは排他的になります。

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