日本基督教団 宇都宮上町教会の公式WebLogです。
キリスト教は排他的で「救いはキリストからのみ」とする融通が効かない宗教でしょうか?また、本日の聖書箇所のように祝福が一つのみとは不寛容にも思われそうです。しかし、唯一神という大前提がある以上、神が定められたことが真理です。ということは、多くの神が存在するという考えから、もし真理という言葉を使うなら矛盾していないでしょうか?
12月2日(土)に当教会にて子ども会を開催します。
教会が初めての方も大歓迎です。
礼拝、スライド、キャンドルサービスあり。みんなでパフェを作って楽しく食べます。
祝福というのは、最高の賜物です。日本では神社などで「七五三」を行って子どもの成長を願う人々が多いですが、教会では同じ時期に合わせて子ども祝福式を行います。先週の木曜日には幼稚園の祝福式も、この礼拝堂で行いました。子どもの成長を願うことは共通していますが、何よりも真の神からの祝福ということを明確にして、イエス様との出会いを教会では祈り願っていきます。本日のテキストは、子どもにも分かりやすい内容です。紙芝居にもあります。そして、新共同訳聖書の小見出しから「祝福を騙し取っていいのか」また「騙し取れるものなのか」という疑問も持ちます。でも、結果的にヤコブは、父イサクから祝福を受けるのです。
私達にとって故郷とは、心が和むものです。田舎で生まれ育った人が都会に憧れます。故郷を離れて、都の生活で挫折を体験し、故郷を慕うこともあります。逆に、都で成功した人でも、心の拠り所や自分の人生における原点としても故郷の存在は重んじられます。しかし、聖書では世の中での故郷より、世を越えた天の故郷に最大の価値があることを告げています。私達は、生まれる前のことは覚えていません。という言い方は変でしょうか?生まれる前は、母親の胎内に約10ケ月はいたとしても覚えている筈はありません。その胎内に宿る前は、存在していません。つまり無の状態です。聖書では、神は無から有を造られたと告げます。直接、神に造られたのは人類最初のアダムとエバだけです。その後は、どんな人物も父親と母親の間から神によって、まず胎内に命が造られています。神は見えない方なので、見える存在の父母という両親に造られたと錯覚する人もいますが、造って下さったのは神の意志によるものです。そして、何と私達のイエス様も、母マリアのお腹から生まれました。来月のクリスマスの出来事です。そして、この方の誕生のみ、天から降りて来られたと表現します。つまり、イエス・キリストこそ本日のテーマ「天の故郷」に実感が持てる唯一の人間なのです。