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イエスの評判

2018年01月28日
川崎 献一師
マルコによる福音書1:21~28

「クリスチャンが皆、イエスに似ていたらキリスト教は広まるのに」と言った人がいます。また「イエス・キリストは素晴らしい人だが、キリスト教は好きになれない」と言う人もいます。「イエス様」という言い方は、クリスチャンに多くいます。一般的には「キリスト」と表現されます。私達は日本基督教団に属する教会です。「基督(キリスト)」を「キトク」と呼んでしまう人もいます。釈迦、孔子、キリスト、マホメッドという4大宗教の教祖という枠でくくられることもあります。この世では宗教を広めることを布教と呼ばれますが、キリスト教では伝道です。特に本日は、伝道礼拝です

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招きと従順

2017年01月21日
川崎 献一師
マルコによる福音書1:16~20

招くという漢字は手偏に「召命」の「召」です。この「召」は神からの呼びかけ、それも命令です。商売では、客の来店を望んでいますが、命令するわけにはいきません。「この店に、また来なさい」と言われたら「何という態度だ。二度と行かない」ということにもなります。 只、信頼関係をもたらす場合は、例外です。有名なラーメン店で、店主が不愛想でもラーメンの味が格別にいい、本来なら「ありがとうございます。」と客に言うところ「ありがとう。また来てね」と馴れ馴れしく言っても許されるキャラクターの人もいます。逆に客の態度を注意する場合もあります。「ラーメンを静かに味わって食べろ。携帯電話も使うな」という上から目線です。もし、この態度が傲慢で嫌なら「もう来なくていい」という位、味に自身を持っているのです。他に客はいる、来たい人だけ来なさいと黙って食べてラーメンの味に集中したくなると客に思わせる程、美味しいラーメンなのでしょう。  

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時が満ちた

2018年01月14日
川崎 献一師
マルコによる福音書1:9~15

本日のテキストは、肝心な出来事が淡々と記されています。あまりにも簡単にまとめてあるので、詳細を読みたければ他の福音書にも載っています。人類の想定外の方法で、神が人と成られました。聖なる神には罪がありませんから、罪人ではない方が神によって世に遣わされたのです。姿だけなら人形があります。人形には罪がありませんが、肝心な命がありません。皆さんは、人形と人間はどちらが好きですか?本来なら命がある人間の方が好きな筈です。しかし、嫌いな人間なら人形の方がずーっといいと思ってしまいます。嫌いな人には罪があるから嫌なのでしょうか?いや、好きな人にも罪はあります。つまり、自分を規準にして人の好き嫌いを判断している自己中心性は聖書が告げる罪です。

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悔い改め

2018年01月07日
川崎 献一師
マルコによる福音書1:1~8

昨年まで主日礼拝で断続的に講解説教していた創世記は、水曜日の祈祷会で学ぶことにしました。主日には、新約聖書の方がより相応しいと判断して、マルコによる福音書の講解説教に入ります。福音書が4つある内、一番古いものがマルコ伝です。一番短い福音書でもあります。若いマルコが、細かく書かなかった点を他の福音書が補っています。マルコは肝心なクリスマスの出来事には触れず、洗礼者ヨハネが最初に登場します。イエス様の降誕は、人類史上最大の誕生日です。それでマルコ伝より後に書かれたマタイによる福音書の方が新約聖書を編纂する際に最初に持っていかれたわけです。

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